カズTの城を行く

身近な城からちょっと遠くの城まで写真を撮りながら・・・

「豊田~みよし~日進史跡巡り⑧」みよし市立歴史民俗資料館

2024-12-31 21:13:32 | Weblog

日進市から一気に南へ下って、再びみよし市へ入りました。

みよし市三好町陣取山にあるみよし市歴史民俗資料館に、福谷城の御城印があるかもしれないとやって来ました。

みよし市歴史民俗資料館へ行きましたが、以前のイベント時に配ったもので、今はないとのこと。・・・残念。

なので周辺を散策して車へ戻ることにしました。ところで陣取山の名前の由来が何だったのか?聞いて来ればよかったのに、後で調べても分かりませんでした。この当時、ネットのどこかに由来が書いてあったような気がしたんだけど。

満福寺と三好稲荷がありました。

陣取山って・・・?

気を取り直して、今度は近くの城跡へ行きます。

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「豊田~みよし~日進史跡巡り⑦」岩崎城と御城印

2024-12-30 21:35:46 | Weblog

福谷城からナビを頼りに日進市を目指していると、愛知池と愛知牧場の看板を見ました。こんな所にあるのかあ?愛知県民ならテレビを見ていると時々名前を聞く場所です。たぶん愛知県民なら・・・?

その愛知牧場はすでに日進市、さらに西へ進んで行って、県道57号へ出て北上。ここからは一度走った道、ナビを見て一安心。そのまま北上して行くと右手にお城が見えて来ました。右折してお城の駐車場へ入りました。

記憶にある姿です。

岩崎城。丹羽氏の築城。小牧・長久手の戦いにも関わったお城です。

書いてありますよ、小牧・長久手の戦いゆかりの地。

岩崎城歴史記念館。二回目の訪問で、前回は2007年11月奥方様も来ました。

その頃はまだ天守や櫓のある城跡ばかり目指していました。だから記念館と天守を見るだけで満足していたので、今回は城跡をもう少し見て回ろうと散策しました。

こちらへは来ていませんでした。

天守の北側へ下がって行きました。

いろいろ残っているじゃないですか。今だから興味を持って見れる場所ばかりでした。

そうそうゆっくりもしていられないので、天守へ戻ります。

十数年ぶりだったので、懐かしい感じと、まだまだ見たりない感じで駐車場へ戻りました。

そうだ、歴史記念館で御城印を購入したんだった。

岩崎城御城印。収集第六十一号の御城印です。

さあ、今日一遠い場所のお城へ来たので、ここからは帰り道です。

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「豊田~みよし~日進史跡巡り⑥」城№504・・・福谷城

2024-12-29 21:00:54 | Weblog

道一本間違えると結構苦労します。

伊保西古城から南西へ下って行きました。もうナビで行かないと分からない道ばかりです。ちょっとした小山がある所へ辿り着きました。東名三好ICが目の前です。そして城山と名の付く保育園の看板がある登り口を見つけました。そのまま上がって行けば難なく着くでしょう。城山保育園がありました・・・。・・・城跡は?あっち?こっち?意味不明?ここでいいはずなのに保育園もあるし、なのに城跡は?そのまま進んで行っても山を下るだけ、途中で向きを変え戻りました。保育園を過ぎてまた下り坂、あれ?通って来た道の保育園へ行く手前に分かれ道がありました。え、こっち?曲がれ切れずに少し下った所でUターンし、分かれ道に来ました。

この矢印を直進だと思ったんだ。

分かれ道を右に進んで行ったら簡単に見つけられました。

どんなでしょう?

うきがいですよ、うきがい!読めなかったあ・・・。と言うより、単純にふくや城とかふくたに城って読んじゃいます。

うきがいかあ・・・。パソコンで変換してたら、福谷ってでました。

福谷城。城主には、糟屋氏とか原田氏とか名前が出ていましたが、その後は、徳川四天王の一人、酒井忠次が城主になったようです。

盛り上がっていました。

一回りしました。

平山城、福谷城でした・・・。

あの分かれ道がなあ・・・。また時間をロスしてしまった・・・。

次は、ここからこの日一番遠くにあるお城、日進市へ行きます。

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「豊田~みよし~日進史跡巡り⑤」城№503・・・伊保西古城

2024-12-28 19:50:46 | Weblog

山城を探す時、住所指定で現地へ行っても、意外と分かりづらい。小牧山城のように町中にポコンと山があればすぐわかりますが、デコボコした山だったり、峰の中の一つだったりすると、どれがそうなのか、何処から攻めればいいのかが分からない。しっかり調べたつもりだったのに・・・。・・・とそんなことが時々あります。

伊保東古城の城址碑がある中学校のグランド横から下ってすぐの分かれ道に、次の目標としていた会館を示す看板があり、そちらへ(西へ)進んで行きました。山裾でも少し高台の場所を通ってまた下り、突き当りを左折しましたが、その突き当りから会館の建物、敷地があり、その南西側の山が城跡でした。しかしその山裾の道を進んでも、その裾側にも住宅があり登り口があるのかどうかも分からない。そのまま進んだら国道へ出てしまい、山の周りを移動しても登り口が分からない。再び戻って会館の方へ進むと、会館よりやや手前の住宅の間の道の脇に小さな案内看板があり、こちらですよと矢印がありました。ああ、良かったと進んで行き、スペースに車を停めて城跡へ向かいました。

今日いち、城跡へ向かう気分が沸き起こります。

山城感あり。さほどの急こう配でもなく、すんなり行けそうだ。

もう虎口だ、ほぼ到着。

伊保と名の付くお城は4つありますが(事前調査でも4つありました)、伊保城とされていた所は、この辺り的な場所だったので、訪問を避けました。

主郭です。

伊保西古城。ここも三宅氏の築城らしい。その後織田領となったそうだ。

寄らなかった伊保城以外の伊保古城、伊保東古城、そしてこの伊保西古城は、中世の城と言うことで、仲間三城の訪問が出来たので、一つ減らしには目をつぶろう。

行きに見たより、城跡の雰囲気があるように見えてしまう満足感で帰れます。

何処を見ても、堀や土塁があるように見えてしまう。

山城は、自己満足でもいいんじゃない?

次は、豊田市のお隣みよし市です。

山側へ来ていたので、少し南へ下ります・・・。

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「豊田~みよし~日進史跡巡り④」城№502・・・伊保東古城

2024-12-27 19:35:13 | Weblog

事前調査で出来る限り現場の姿をストリートビューで確認しているけれど、いざ現場に着くと山が思ったより大きくて分かりづらかったり、逆に近すぎて並んだ住宅などに隠れて見えないこともあり、現地で苦労することもしばしばあります。

伊保古城のある貝津町から西隣の保見町へ移動。保見町東古城と言ういかにも城跡と言える住所でした。目標とする所が中学校のだったので、何となく到着出来ました。

奥に学校らしき建物、手前に竹林、間違いないでしょう。

グランド横に城址碑がありました。

伊保東古城。こちらも三宅氏による築城のようです。

時間の都合で、竹林の方へは行きませんでした。

次を目指して車を走らせましたが、今度は迷いました・・・。

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「豊田~みよし~日進史跡巡り③」城№501・・・伊保古城

2024-12-26 23:03:42 | Weblog

一度訪問すると、ほぼ次はナビなしでも行ける感じですが、目的地を設定してナビに逆らいながら走ったりしています。しかしどんなに事前調査し、ナビで目的地を設定して出掛けても、現地に行くと分かりづらい時もあり、今はスマホで再調査して現場を探します。

今回の道のりは途中からほぼ初めての道、初めての町を目指していたため、ナビで多少の遠回りをしても指示通り走って行きました。藤五郎城から道なりに進むと、岡崎から豊田まで走っていた国道248号にまた出会いました。左折して北西へ進み、途中で右折してすぐに名鉄豊田線潜り、北上して今度は愛知環状鉄道を越え東へ走りました。

豊田市貝津町後山、南側に見える愛知環状鉄道の貝津駅と保見駅の中間くらい内地へやって来ました。

前方に見えるのが城跡らしい・・・。入り口があるか回って見ました。

南側から北側へ回りましたが、地籍調査とかの帯が垂れ下がっていました。

伊保古城。三宅氏の築城。詳細不明で伝承地とのことです。それらしい雰囲気はありました。

中に入るのは止め、ぐるっと一回りした画像で終了となりました。

この地域でもう少し回ります。

すんなり見つかるといいんだけど。とにかく出発。

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「豊田~みよし~日進史跡巡り②」城№500・・・藤五郎城

2024-12-25 21:55:02 | Weblog

基本ナビに頼って動いています。場所によってはナビを無視してこっちから行きたいと、ナビに新しい道のりを出させて走ったりもします。そんなに方向音痴ではないと思っているので、ナビが主要道路を中心に道のりを選んでいると、こっちの方が走りやすいでしょ、とコースを変えてしまいます。たまに行き止まりになったり、一方通行だったりして、言うことを聞かずにごめんなさいとナビに謝ったりもしますけどね。

何処からか豊田東郷線の県道520号線で西へ進み、宮上町6丁目の信号交差点で右折しました。下調べしてあるのでこの先のコンビニの近くだと進んで行くと、そのコンビニが現れました。

説明版がありました。

通り過ぎて停車。しかし車を停める場所がない。戻って停車させられる場所へ行き、急いで撮影することにしました。

藤五郎城。城主は篠田藤五郎。別名宮口城。

寂しい枚数の画像ですが、藤五郎城訪問はここまでです。

ここからこの道を北へ向かって走りました。

 

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「豊田~みよし~日進史跡巡り①」通り過ぎる七洲城

2024-12-24 20:07:28 | Weblog

田原城へ行った次の日、今度は豊田へやって来ました。最初に以前行った御城印を売っていた所へ向かったのですが、残念ながらもう閉店していました。残り一枚買えなかった御城印は別のところで手に入れよう・・・。

なので、最初は七洲城へ向かいました。

再訪の再訪の・・・再訪の七洲城なので、遠望だけで通り過ぎました。

次は、豊田市でもう一ヶ所寄る予定の所へ向かいました。

北西方面、走ったことのないコースなので、ナビを頼りに向かいました。

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「田原城周辺散策」の巻

2024-12-23 21:07:57 | Weblog

今年2月の初旬、仕事で田原市に出掛け、終了後に近くだった田原城周辺を散策しました。

最初は田原城惣門跡に行きました。ここは一度来たことがありました。

惣門跡周辺でした。

小学校前を北東に進むと田原城です。その桜門前にやって来ました。

左へ目をやると、崋山会館側です。

桜が咲くころに来ると、桜門らしい姿になりますよ。

桜門前から崋山会館の方へ進み、小学校と崋山会館の間を進むと崋山神社があります。

崋山会館です。

崋山神社の前から桜門を見ました。

鳥居の前から駐車場側へ道路を移動しました。

こんな塀は初めて見ました。

ここから北側の中学校側へ行き、さらに西へ進むと、池ノ原公園があります。

梅が咲いていました。

渡辺崋山池ノ原幽居跡がありました。

ついでに花も撮りました。椿かな。

「田原城周辺散策」の巻、でした・・・。

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お城巡りの守備範囲?

2024-12-22 20:49:51 | Weblog

お城巡りを数多くしてきましたが、関東、東北、中国、四国、九州、沖縄などそうそう行くことが出来ない場所が多いのが現状です。

そんな自分が城巡りをしていると言えるのは、その守備範囲が影響していると思います。自分が住んでいる愛知県をはじめ、東海地方は、城跡も有名な武将も知名度のある古戦場も多くあるからだと思います。

一番多いのは、やはり愛知県だと思います。集計済みではないですが、けっこう隅から隅まで巡っています。名古屋城周辺以外は車で行っていますが、他はほぼ車です。

次は静岡県でしょう。静岡市辺りまでは車で行っています。三度訪問した駿府城は一度電車でした。東の方はこれからですが、遠江はかなり訪問しています。

岐阜県も頑張って車で行ってます。関ヶ原を含む西美濃、岐阜市を中心とした中美濃、そして東美濃を多く巡っています。高山方面は少ないですね。

三重県は、鳥羽伊勢から北の愛知県に近い方を回っています。計画はしますが、なかなか出掛ける所まではいかないので、関西の親戚からの帰り道や、三重県のみで計画した城巡りで鳥羽伊勢まで行った時くらいになります。

ここから先、何処まで行けるかは分かりませんが、車、電車、はたまた飛行機を利用して、少しでも多くいろいろなお城へ行ってみたいものです・・・。

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