以前犬山方面へ行った時、犬山城近くへは行ったものの、人の多さで駐車場も探さず遠望だけでスルーしたので、城下町を歩こうと電車で行くことにしました。
昨年3月20日、雨模様でしたが計画通り奥方様と出発しました。
スタートは豊橋鉄道渥美線です。
出発!
豊橋駅で名鉄電車に乗りました。ちょっと贅沢に指定席券を購入です。
犬山線だったのでそのまま犬山到着。
ここから城下町へ歩きです。
犬山城は何度か来ましたが、城下町を歩くのは初めてです。
たくさん歩くんだろうなあ・・・。
以前犬山方面へ行った時、犬山城近くへは行ったものの、人の多さで駐車場も探さず遠望だけでスルーしたので、城下町を歩こうと電車で行くことにしました。
昨年3月20日、雨模様でしたが計画通り奥方様と出発しました。
スタートは豊橋鉄道渥美線です。
出発!
豊橋駅で名鉄電車に乗りました。ちょっと贅沢に指定席券を購入です。
犬山線だったのでそのまま犬山到着。
ここから城下町へ歩きです。
犬山城は何度か来ましたが、城下町を歩くのは初めてです。
たくさん歩くんだろうなあ・・・。
再び掛川市に戻って、掛川城を目指して車を走らせました。県道415号(昔の国道1号)へ出て西へ移動、掛川城の近くまでやって来ました。左折する所を通り過ぎてしまい、結局北門の交差点を左折して、その先の駐車場の手前で再び左折して坂道を上がって行きました。報徳社の所を右折していけば掛川城へ行けますが、ここをそのまま直進して、民家が切れる手前の左の坂道を上がって行きました。
駐車場に入りました。お寺っぽくないですが、龍華院と言うお寺です。
さっそく散策です。
以前ここへ来たのは、掛川古城のこの説明版(前回の説明版と違うかも)がある場所が目的だったので、周りはほとんど見ていませんでした。そのまま歩き続けました。
土塁かな。
高い所だと分かります。
城跡らしい遺構があるみたいです。
西郷の局。於愛の方は、広瀬アリスさんが演じたんだったんだ。もう忘れていたから調べました。
南側の階段を下りて行きました。
堀切。
東側へ上がって行きました。
公園になっていました。
戻ります。
道になっていなければ、もっと深かったのかな?
お寺側へ戻って来ました。
駐車場へ戻って来ました。
こちらにも見る所がありました。
掛川城が見えるじゃない。
新しい掛川城、好きだなあ・・・。
前回の訪問より、いろいろ見て回れたので訪問終了。
掛川市は、けっこう来てる場所です。
また行きたいなあ・・・。
2024年3月、掛川市へやって来ました。
信用金庫の所を右折して駅前方面へ向かました。そして掛川駅のすぐ北側を走る県道37号を新幹線や東海道本線と平行に東へ進んで行き、やがて市街地を抜け、新幹線と別れて東海道本線に沿って進んで行くと、菊川市西方に龍雲寺と言うお寺が左手に現れます。
洞谷山龍雲寺。駐車場に入りました。
室町中期の永正11年(1514年)曹洞宗開祖道元禅師より十三世の法孫にあたる法山宗益和尚が開創した禅寺です。
そして龍雲寺裏門とされているのが、掛川城移築城門らしいです。
ほぼ使われていない状態ですね。
道の向こうが東海道本線です。菊川茶、掛川茶、静岡県はお茶屋さんが多いです。
車に戻って出発。また掛川に戻ります。
国道257号をさらに南下し、設楽町の役場や警察署のある田口地区まで戻って来ました。せっかくだったので調べていた城跡に寄ってみました。
大田口の交差点の次の交差点である役場北の交差点を左折し、役場の横を過ぎたら右折、すぐに左折して坂道を上がって行きました。
高台になっている所を目指しました。
上がり切ってその先の奥三河総合センターの駐車場に入りました。
山の上の感じでした。
奥三河総合センターの真ん中の通路を通って、この場所の入り口辺りまで戻ります。
坂道を上がって来て、奥三河総合センターの反対側へ進むと別の建物があります。
奥三河郷土館です。
もう閉館したみたいです。
この辺りが城跡だったようです。田口氏の居城。
以前は電車があったみたいです。
まだ距離がありますので帰ります。
トイレ休憩で、道の駅したらに寄りました。
何かな?
ふむふむ、そう言うことか。
今度こそ帰ります。
「設楽10城への道(後編)」終了となります。
リベンジしなきゃいけないかな?とも思いますが、けっこう遠いんだな・・・。
ご訪問ありがとうございました。
帰り道になって国道257号をさらに南下して行きました。そして「設楽10城」最後の城を確認するため左手の山を見ていましたが、遠望で確認出来る所を探しながら走りました。名倉地区より南側の設楽町川向タラノ木辺りを調べてあり、そこから左前方の山を写そうと思っていましたが、近くに林があって分かりませんでした。
もっと奥の山です。
この向こうの山のはずですが・・・。
この向こうだと思います。
だと思います。
この向こうのはずなのに・・・。もう少し早く遠望を撮れば良かった・・・。
戻ることも考えましたが、帰りの道のりも長いので、このまま通り過ぎて行きましたが、実は、津具から名倉へ向かって「ささぐれもみじ街道」を走っていた時に見つけた案内板があり、その写真を撮っていました。
ちょうど鍬塚城の北側くらいにある進入口でした。
鍬塚城。名倉奥平氏のお城みたいです。
ここを進めば山城である鍬塚城があると言うことで、今回の訪問とさせていただきます。
鍬塚城御城印。収集第七十九号の御城印です。
帰り道が長く続くので、途中休憩がてらもう一か所寄って行きました。
再び道の駅アグリステーションなぐらの前を通り過ぎ、国道257号を南下していきました。名倉郵便局を過ぎて集落を抜けた先で左折して東進、名倉川も越えて田んぼの間を走りました。
あれかな?とも思いましたが、調べた情報ではこの道沿いではなかったはず、そのまま通り過ぎました。
あの辺りのはず、目的地が近くになりました。
左折して北側を見ると城跡付近が正面になりました。やや左の方がそうかな?
城跡である山の麓までやって来ました。
城跡入口がありました。
動物除けの柵がありました。
背が高いので(胴が長い)柵の上からカメラを構えて撮りました。柵を開けにくかったので中へ入るのを断念しました。諦めが早い私です。
寺脇城。詳細不明ですが、城主に後藤氏や名倉奥平氏の名前があるようです。
ほぼ遠望での訪問となりましたが、9城目をクリアです。
寺脇城御城印。収集第七十八号の御城印です。
残り1城、また国道257号へ戻って南下していきます。
この日4か所目、通算8か所目の城跡目指して、道の駅アグリステーションなぐらを出ました。設楽10城も残り3か所です。
5分もかからずやって来ました。
今日一分かりやすい城跡か?
城跡入口です。
入城!
いろいろ標柱が立っています。
本曲輪は、もうすぐかな?
来たぞ。
清水城。南北朝時代に足助氏の代官、菜蔵左近蔵人が居城したようです。
途中降りる場所を変えたら、こんな感じでした。
画像がボケていて消したのも多かったけれど、ほぼほぼ城跡を満喫出来ました。
今回一番北にある城跡を先に済ませ、この地区を戻りながら10城の内の残り2城を目指します。
清水城御城印。収集第七十七号の御城印です。
残り2城か・・・。
いつものようにひた走っていましたが、飲み物やおやつぐらいはどこかで買って休憩する時はあります。
湯谷城から国道257号へ出てさらに北上し、この日の一番遠くにある城跡を目指していましたが、その手前に道の駅があるのは調査済みなので寄りました。
駐車場に車を停めてトイレに行き、その後道の駅へ入りました。食堂があったり地物の野菜などを売っていましたが、用はなかったので、道の駅と駐車場との間に情報やパンフレット、チラシなどが置いてある情報・パンフレットBOXとある小屋があったので入って、その名の通りパンフレットやチラシをいただきました。
どこかで同じような地図を見た気がする・・・。
自販機で飲み物を買って車で休憩。
すぐにこの近くにある城跡へ向かいました。
名倉カントリークラブへの入り口へ戻り、国道257号を数百メートル北上して、ナビで調べた場所を目指して左折、古墳がある場所の脇を通って山側へ。そんな感じで進んで行きました。
向こうに古墳があるらしい。
あれか?古墳目当てではないので先へ進みます。
橋はふさがっています。このあたりだったかなあ?調べた地図を思い出しながら、手前を歩いてみました。
お墓があります。そんな情報もあったかも?
どうなんだろう?
城跡かなあ?
川の向こう側だったりして・・・。
遺構ではないような感じです。・・・橋へ戻りました。
なんだ!橋を渡って行ったら、こんなものが・・・。最初からこっちへ来れば良かった。さっきには何だったのか?
まあいいや、散策、散策。
坂を上がって行きます。ここも雪が残っていました。
まだかな?
雪を見ると嬉しくなる。・・・戌年です。
明るくなった。
湯谷城。詳細不明ですが、名倉奥平氏の城とも・・・。
戻ってきました。回り切っていないけれど、雪も見れたからOK!でしょう・・・?
城跡よ、さようなら。
さようなら。
最初から、ここを渡れば・・・。もういい。
国道259号へ戻りました。こんなのが立っていたんだ。
まあいい。湯谷城を訪問出来たんだ。
湯谷城御城印。収集第七十六号の御城印です。
次ももう少し北へ向かいます。
津具地区内をしばらく北西へ走って、民家が少なった所でささぐれもみじ街道を西へ向かって走ります。この道はなだらかで走りやすかったです。前回の長江城へ行った時は、崖下を気にしながら走りましたから、この道の優しさには感謝です。
数キロ走って行くと国道257号へ突き当たり、右折して北上しました。
設楽町東納庫地区を走っていると、名倉カントリークラブと言うゴルフ場があります。ここでゴルフを楽しむ・・・ではなく、このゴルフ場の奥の山が城跡らしいです。
遠望ですが、民家の奥の高い木々の後ろに見える白っぽい所がゴルフ場のコースで、その奥の山が城跡だと思われます。
小鷹城。戸田氏が城主だったようです。
近くだと分かりませんね。
ゴルフ場の入り口の方へやって来ました。3月ですが雪が残っていました。
ゴルフ場です。土塁ではありません。別の所から城跡へ行く道があるようですが、当然のことながら標高1020mの山の上には行けません。
遠望で訪問終了です。
小鷹城御城印。収集第七十五号の御城印です。
ああ、少しは城跡に辿り着いた気分になりたいなあ・・・。
次へ向かいます。