加納城から西へ進むとすぐに川があり、橋を渡って信号を右折して南へ、三本目の路地を左折すると高校があります。その高校の校舎とグランドの間(グランド側)に城跡がありました。
川手城。革手城ともありました。土岐氏の築城。
遺構はないので、画像もこれだけです。加納城からおよそ300mの所にある川手城でした。
次は、愛知県に入ります。
加納城から西へ進むとすぐに川があり、橋を渡って信号を右折して南へ、三本目の路地を左折すると高校があります。その高校の校舎とグランドの間(グランド側)に城跡がありました。
川手城。革手城ともありました。土岐氏の築城。
遺構はないので、画像もこれだけです。加納城からおよそ300mの所にある川手城でした。
次は、愛知県に入ります。
スシローから南へ進んで、高山本線と名鉄各務原線を越えてから右折して市街地方面へ戻り、加納公園の駐車場へ入りました。
多少記憶にある景色です。
城主がいるんだ。
誰だろう?あの女の子か?
公園(本丸跡)の中は、家族連れで賑わっていました。
こちらは、城址見学です。
石垣の上からの景色です。
桜もあります。
加納城。1445年に斎藤氏が築いたのが始まりのようですが、一時廃城となり、関ヶ原の戦いの後、家康が岐阜城の替わりの築かせ、奥平氏を城主にしたそうです。その後城主は、大久保氏、戸田氏、安藤氏、永井氏がなったようです。
本丸を出て、外を見て回りました。
外側からの方が、立派な石垣が見れるからです。
城跡の東側には、テニスコートやグランドがありました。
お城と桜がコラボした加納城でした。
次は、初訪問の城跡へ向かいます。
岐阜公園からナビで選んだ昼食は・・・?
スシロー岐阜石長店。次の目的地から遠くなかったのでここにしました。
さほど待つことなく席につけました。
回転ずしへ行っても、最近は10皿も食べられないんですよね。二人とも60代だからお寿司を食べられるだけで満足。好きなものを頼んで、最後はデザートを頼みます。それでも10皿には至りません。
食事を済ませて駐車場へ。駐車場から見えるのは・・・?
岐阜城が見えました。桜は見えないけれど、お城が見れたスシローでした。
ええやん、スシロー。
次は、加納城。ここも2007年11月訪問以来です。
振り出しに戻るような感じで、岐阜公園の後編をお送りします。
この辺りの歴史については、ほぼ知識がないです。名前は分かりますけどね。
織田信長居館跡。
信長のことだから、金華山の麓に立派な居館があったんだろうなあ・・・。
発掘調査とか一緒にしてみたいなあ・・・。どこかであったら誘ってほしいです。
本木君の斎藤道三、良かったよね。(個人の見解です)・・・いつの話ですか?
けっこう広かったですね。段差もあるし、いい運動でした。
今回は、見るだけのロープウェイでした。
このエピソードは、功名が辻の時に知りました。・・・またまたいつの話じゃ。
岐阜城と桜と居館跡とロープウェイが見れた岐阜公園でした。
岐阜城御城印。収集第九十五号の御城印です。
歴史博物館の前の噴水を挟んだ向かい側にある金華茶屋でお団子を買って食べましたが、それだけでは足らないので、昼食の場所をナビで探しました。
奥方様と出かけるといつもの・・・。
・・・です。
先週、本屋さんへ行ったら御城印が載ってる雑誌があったので買いました。そしたらカレンダーとオリジナル御城印が付録になっていました。
ちょっと得した気分になりました。
そして昨日(3月1日)、名古屋吹上で今年もにっぽん城まつりが開催されていたので行ってきました。
御城印も購入して来ました。
賑やかでしたが、何周もして展示やブースを見て回りました。
次は、松江なんだけど、行けたらいいなあ・・・。
無理かも・・・。
国道21号を走って岐阜市街地へ入り、途中で北上して金華山を目指しました。
そのまま長良川の堤防沿いまで出て、北側から岐阜公園近くの駐車場を探しました。
こちらも2007年11月以来の訪問となります。
岐阜市歴史博物館の道路を挟んだ反対側(西側)の駐車場に入れたので、こちら側(南側)から岐阜公園へ入りました。
岐阜城。二階堂氏の築城から始まり、斎藤氏、織田氏、池田氏など城主が変わっています。今は織田信長の時代の遺構が注目されているのかな。
ロープウェイが見えました。前回乗りました。
前回、こちらには来ていません。と言うより、発掘調査もまだだったような・・・。
桜もありました。
金華山ロープウェイの売店に行き、岐阜城の御城印を購入しました。
ササッとはしょって来ましたので、前編はここで終了します。
大垣城の次に向かった墨俣城は、ほぼ東側の大垣市の端にあります。大垣城からやや南の県道を進み、揖斐川を越え、長良川の手前でやや北に移動、どう進めばいいのか分からなくなって大きなスーパーの駐車場へ入りました。調べなおして移動し始めたら、何だか渋滞している感じ。目的地は、長良川の支流である犀川の河川敷にある駐車場。しかしそこへ至る道は駐車場へ向かう車で渋滞中。桜祭りなので致し方ないが、このまま渋滞にハマっていると、後のスケジュールに支障が出る。ここでの桜と城見物を諦め、御城印だけでもなんとかならないかと、資料館側へ向かうため戻って犀川を越えました。
堤防沿いに進んだ所で奥方様に車を預け、一人急いで模擬天守へ向かいました。
賑わっている中を抜けて、桜祭りの係員さんに御城印を変える場所を聞き、少し並んで天守の受付へ行き、何とか御城印を手に入れ、すぐに戻りました。
墨俣一夜城。これは模擬天守、木下藤吉郎が気づいたのはこんなのではなかったけれど、出世の足掛かりになったのは間違いないでしょう。一夜で出来たわけでもないけれど、一夜城は秀吉の得意技かな。
2007年11月以来の墨俣城訪問は、諸事情によりこれだけとなりました。
墨俣一夜城御城印。収集第九十四号の御城印です。
さあ、次は岐阜城です。
国道21号線へ出て、途中で給油して向かいました。
豊田上郷SAから岐阜方面へ走り、名神の大垣ICで降りて北上、大垣市街へ向かいました。大垣城は二度来ていますが、最初は2007年11月で車で来ました。2度目の訪問は2015年9月東海道本線で来て、駅から街を歩きながらお城へ行きました。
国道258号線で大垣市街地へ向かい、途中で左折して大垣駅へ向かう県道を進みました。大垣城を左手に見ながら通り過ぎ、回り込むように北側の駐車場へ入りました。
駐車場からすぐにお城の西側の広場へ入りました。
大垣城の写真を撮るなら西側からが良いと自分では思っています。
そして今回は、桜と一緒にお城を撮ることが目的でもあります。
戸田氏鉄像と撮るのもいいかな。
桜を単独でもいいですね。青空だったらさらに良かったかな?
目的がもう一つあるので、西門から天守へ向かいます。
大垣城。竹腰氏(牛屋城)や宮川氏の築城といわれいるようですが、詳細は不明です。そして織田氏、氏家氏、池田氏、久松氏他目まぐるしく城主が変わっていますが、銅像の戸田氏鉄から戸田氏が11代続いて明治になったそうです。
博物館になっている天守は初めての入城です。
御城印を購入して出ました。
また西側広場へ出ました。
戸田氏鉄像。格好いいじゃん!
十分桜と城のテーマ通りになりました。
大垣城御城印。収集第九十三号の御城印です。
出足から良い状況だと次は・・・?
墨俣一夜城へ向かいます。
河津桜の話題も出ている今日この頃、3月末になればソメイヨシノの花見も始まるのでは?
昨年の話にはなりますが、2007年11月の城巡りとやや似たコースで、桜と城をテーマに奥方様と岐阜・愛知の城を巡って来ました。
2024年4月6日岐阜県に向かって車を走らせました。いつものように音羽・蒲郡ICから東名高速に乗り、最初はどこで休憩しようかと相談しながら走りました。
豊田上郷SAに寄りました。朝食になるものと飲み物を買って車へ。
出口近くの方に桜の木があり、花が咲いていました。
スタートから桜を見て、今日はどのくらい桜が見れるだろうか、楽しみになりました。
休憩を済ませて、ここから一気に大垣市まで車を走らせます。
馬伏塚城跡からまた郷土資料館方面へ向かい、県道41号で通り過ぎて行き掛川市との境近くまで進んで行きます。
浅名地区を抜けると、田畑の先の左手に小山が見えてきます。
再訪なので登城口も分かっています。
少し上がった所に車を停め、近くの入り口はスルーして南側の神社入り口へ向かいました。
遠江・岡崎城。四ノ宮氏の居城。
神社の左手側は、それなりに城跡らしい遺構が目に入ります。
水堀のようになっていますが、普段は空堀だと思います。
ササッと見て今回の訪問は終了。
「袋井市のお城再訪と御城印は一か所」はこれにて終了。
御城印は一か所(久野城)だけでしたが、人との関わりも含めて、郷土資料館などに寄ってみるのもいいんじゃないかと思いました。
次からはそのような場所も含めて城巡りを考えるようにしたいと思います。
ご訪問ありがとうございました。