身近な自然となかよくblog (旧「菊名エコクラブblog」)

自然環境と調和した持続可能な社会を!

都市に住む現代人であっても地球への敬意を大切に。 松田 照之

里山・農村から都市化・市街地化への過程で

2018年03月14日 09時55分04秒 | 6-2.思ったこと・考えたこと
今は町(都市、市街地)になっていても、そこも元々は山林だったり農村だったりしたはずです。
なぜなら木を伐り山を切り崩し、田畑を埋め立てたりして、都市化、市街地化が進められてきたからです。

私の住む町、菊名(横浜市港北区)もまた同じです。
今でも一部が残っていますが、昔は菊名池という大きな池(農業用のため池)があり、そこから川(農業用水路)が流れていました。
周辺や下流部の田畑を潤す、この池と川を軸とするようにして菊名は成り立っていました。
川には水車小屋があり、丘には秋になるとリンドウの咲く、のどかな里山、農村だったと聞いています。

都市化、市街地化が何十年にも渡って進められてきて現在に至るように、里山が次第に市街地化されていくのです。
「ここは町だから自然が残っていてはいけない。綺麗にしなくてはいけない。」という言葉を時折耳にしますが、元々里山、農村であったにも関わらず、そこまで徹底して自然を排除しようとすることに疑問を感じます。
反対に、町で自然が少なくなっているから残していく必要があるということも言えます。

繰り返しになりますが、何より自然の営みと私たちとの繋がりとを体験を持って何度でも再認識できる場所としても、身近な自然は私たちの生活圏の中に必要だと考えるのです。
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伝えていくことの大切さ

2018年03月14日 05時20分16秒 | 6-2.思ったこと・考えたこと
町に住む私たちがすっかり忘れてしまい、振り返えろうともしなくなってしまったこと。
それは自然の営みに対する畏敬(驚きと敬い)の念と、自然の恵みへの感謝、そして、そこに生きる限りある生命を持った生きものたちへの優しい眼差しです。
前回の文書の最後、このように綴って締めくくりました。

こうした感性や考え、見方を持つことは、お年寄りや子供を大切にしよう、両親を敬おうというのと同じくらいに、人としての基本的なことではないかと考えています。
私の経験でいうと、昭和40年代から平成の初期にかけては、このような感性、考え、見方を持つ大人たち、お年寄りが確かにいらっしゃいました。
私の両親もまた、そうした年配者の一人でした。
今はもう宅地になってしまいましたが、近所に湧き水(滲出水)の残る場所がありました。春から秋にはスギナやセリなどが緑に茂り、たまり水にはトンボが飛び交いながらキラキラ光る水面に産卵している様子がよく見られました。
母はここが「これからも残っていればいいなぁって思いながら、いつも見てるのよ。」と言っていました。

自然や生命ある自然の生きものたちに対するこうした思いは、本人の経験から生まれるものでもあるでしょうけれど、その一方で、親の代から子供の代へと伝えていくことも重要なのではないかと考えます。
私は㈶法人日本自然保護協会認定の自然観察指導員として、自然観察会などをとおして、こうしたことをお伝えてきましたが、やはりこのような活動は大切だと改めて思うのです。

しかしながら、以前よりも都市化、市街地化に拍車がかかり、以前よりも厳しい状況になってきていることは確かです。
勉強をし直すなどして自分を高めるとともに、これまでのやり方にプラスして、何か新しいやり方、活動を生み出す必要があるのではないかと感じています。
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