今は町(都市、市街地)になっていても、そこも元々は山林だったり農村だったりしたはずです。
なぜなら木を伐り山を切り崩し、田畑を埋め立てたりして、都市化、市街地化が進められてきたからです。
私の住む町、菊名(横浜市港北区)もまた同じです。
今でも一部が残っていますが、昔は菊名池という大きな池(農業用のため池)があり、そこから川(農業用水路)が流れていました。
周辺や下流部の田畑を潤す、この池と川を軸とするようにして菊名は成り立っていました。
川には水車小屋があり、丘には秋になるとリンドウの咲く、のどかな里山、農村だったと聞いています。
都市化、市街地化が何十年にも渡って進められてきて現在に至るように、里山が次第に市街地化されていくのです。
「ここは町だから自然が残っていてはいけない。綺麗にしなくてはいけない。」という言葉を時折耳にしますが、元々里山、農村であったにも関わらず、そこまで徹底して自然を排除しようとすることに疑問を感じます。
反対に、町で自然が少なくなっているから残していく必要があるということも言えます。
繰り返しになりますが、何より自然の営みと私たちとの繋がりとを体験を持って何度でも再認識できる場所としても、身近な自然は私たちの生活圏の中に必要だと考えるのです。
なぜなら木を伐り山を切り崩し、田畑を埋め立てたりして、都市化、市街地化が進められてきたからです。
私の住む町、菊名(横浜市港北区)もまた同じです。
今でも一部が残っていますが、昔は菊名池という大きな池(農業用のため池)があり、そこから川(農業用水路)が流れていました。
周辺や下流部の田畑を潤す、この池と川を軸とするようにして菊名は成り立っていました。
川には水車小屋があり、丘には秋になるとリンドウの咲く、のどかな里山、農村だったと聞いています。
都市化、市街地化が何十年にも渡って進められてきて現在に至るように、里山が次第に市街地化されていくのです。
「ここは町だから自然が残っていてはいけない。綺麗にしなくてはいけない。」という言葉を時折耳にしますが、元々里山、農村であったにも関わらず、そこまで徹底して自然を排除しようとすることに疑問を感じます。
反対に、町で自然が少なくなっているから残していく必要があるということも言えます。
繰り返しになりますが、何より自然の営みと私たちとの繋がりとを体験を持って何度でも再認識できる場所としても、身近な自然は私たちの生活圏の中に必要だと考えるのです。