10月1日版画家 一原有徳さんが亡くなられました。100歳
一原さんと言ってもご存知ない方が多いかも知れませんが
全道美術協会所属で 北海道在住(小樽)の版画家としてはとてもメジャーな活躍をされた方でした。
私は全道展の多くの先輩版画家には大変お世話になってきましたが
その中でも一原さんとの楽しい交流がありまして その一端をお話します。
私が全道展の会員になり立ての頃 初めての審査に出席した折
(多分1984年頃)
隣に座った一原さんから
「水落君 作品 ばくんないかい?」 と突然言われました。
その頃はもう土方定一(元神奈川県立近代美術館長・美術評論家)さん達によって
一原作品が絶賛されて 現代版画家として多くの版画家・版画ファンに知れ渡っていたので
私は飛び上がらんばかりに
「私の作品でいいんですか? 是非お願いします!」と即座に答えたものです。
それから数ヶ月後だと思いますが 作品が2点贈られてきました。
その1点
銅版画 59×44cm 1978年制作 ED20/20
複雑な腐蝕跡が細かなマチエールとなって
シンプルでありながら奥の深い 暖かみのある作品です。
作品の下には「pour Mizuochi」(水落に)とまで書いてくれました。
私は大感激です!
実は私は1点だけ ばくってもらえるのだとばかり思っていたので
私の作品も1点用意していたのですが 急遽一原作品が2点ならば
それに釣り合うには「作品一山」は必要かと考えながら
確か5・6点用意してお贈りしたと記憶しています。
2点目
44×30cm E・P 1981年制作
この作品も銅版画の凹版技法で刷られていますが
後で一原さんに伺ったところによると
スキー場などに落ちていた古いホーロー製の誘導看板を利用して
手を加え インクを詰め込んで刷り上げたそうです。
確かに 「10」 の反転した文字が見えます。
前出作品の複雑では有るけれど 軽みある雰囲気と違って
物質の重さと時の重さを併せ持った 存在感の強い作品です。
登山家でもあった一原さんらしい 新鮮で魅力的な発想です。
1910年徳島県生まれ 4歳で北海道へ
40代から絵を始めて もちろん専門的な絵画教育を受けずに
だからこそか 努力を重ね 独自の発想と工夫で一原世界を築き上げた姿勢は私にとっても 刺激的でした。
当時 駆け出しの私にも とっても気さくで
いたずらっ子みたいな目で話しかけてくれた一原さんを 今 改めて想い出しています。
ご冥福を心からお祈りいたします。
一原さんと言ってもご存知ない方が多いかも知れませんが
全道美術協会所属で 北海道在住(小樽)の版画家としてはとてもメジャーな活躍をされた方でした。
私は全道展の多くの先輩版画家には大変お世話になってきましたが
その中でも一原さんとの楽しい交流がありまして その一端をお話します。
私が全道展の会員になり立ての頃 初めての審査に出席した折
(多分1984年頃)
隣に座った一原さんから
「水落君 作品 ばくんないかい?」 と突然言われました。
その頃はもう土方定一(元神奈川県立近代美術館長・美術評論家)さん達によって
一原作品が絶賛されて 現代版画家として多くの版画家・版画ファンに知れ渡っていたので
私は飛び上がらんばかりに
「私の作品でいいんですか? 是非お願いします!」と即座に答えたものです。
それから数ヶ月後だと思いますが 作品が2点贈られてきました。
その1点
銅版画 59×44cm 1978年制作 ED20/20
複雑な腐蝕跡が細かなマチエールとなって
シンプルでありながら奥の深い 暖かみのある作品です。
作品の下には「pour Mizuochi」(水落に)とまで書いてくれました。
私は大感激です!
実は私は1点だけ ばくってもらえるのだとばかり思っていたので
私の作品も1点用意していたのですが 急遽一原作品が2点ならば
それに釣り合うには「作品一山」は必要かと考えながら
確か5・6点用意してお贈りしたと記憶しています。
2点目
44×30cm E・P 1981年制作
この作品も銅版画の凹版技法で刷られていますが
後で一原さんに伺ったところによると
スキー場などに落ちていた古いホーロー製の誘導看板を利用して
手を加え インクを詰め込んで刷り上げたそうです。
確かに 「10」 の反転した文字が見えます。
前出作品の複雑では有るけれど 軽みある雰囲気と違って
物質の重さと時の重さを併せ持った 存在感の強い作品です。
登山家でもあった一原さんらしい 新鮮で魅力的な発想です。
1910年徳島県生まれ 4歳で北海道へ
40代から絵を始めて もちろん専門的な絵画教育を受けずに
だからこそか 努力を重ね 独自の発想と工夫で一原世界を築き上げた姿勢は私にとっても 刺激的でした。
当時 駆け出しの私にも とっても気さくで
いたずらっ子みたいな目で話しかけてくれた一原さんを 今 改めて想い出しています。
ご冥福を心からお祈りいたします。