お正月ですので、、、。
竹内結子さんと妻夫木聡君(後姿)です。
三島由紀夫の豊饒の海『春の雪』の映画の1シーンです。竹内結子さん(聡子さん)は宮様
と結婚する前に、妻夫木聡君(清顕)の子供を身ごもりますが(身ごもされた?)、大阪で堕
ろした(堕ろさせられた?)あと、奈良の尼寺に入ってしまいます。尼寺のモデルは奈良の
やまのべの道から少し入った「圓照寺」と言うお寺です。小説では「月修寺」。
写真は実際の「圓照寺」。
妻夫木君、竹内結子さんに会いたくて「圓照寺」に行きます。
でも、尼寺ですから、門から中には入れてくれません。
2月26日の設定のようですが、奈良と言えども寒いので、何日も門の前に居たので風邪
をこじらせて肺炎になり、二十歳の若さで亡くなってしまいます。(小説の中では、その
後、何度も生まれ変わります。)
もう、お判りですよね。この門は「中門」のはずです、、、。(「圓照寺」には、この門
の手前に黒木門と言うのもあるんです。斎宮が伊勢に行く前に寄る、京都嵯峨野の野宮
神社(ののみやじんじゃ)にも、樹皮がついたままのクヌギによる「黒木の鳥居」があ
ります。黒木は「樹皮を剥いていない。」の意で、天皇の殯宮「もがりのみや」も黒木で
造営します、、。「斎宮」と「尼寺」と「死」と何か関係あるんでしょうか? 民俗学
関係の本などに、「○○の死と再生」とかありますけど、良く判らないんです、、、。)
圓照寺の黒木門です。
野宮神社の黒木鳥居です。
(でも何故か野宮神社は「良縁」「縁結び」の神様と言う事になっているのです、、、。)
(12月31日は大晦日なのに、閲覧数151でした。皆様、お忙しいのに目を通していただい
て、ありがとうございます、、、。)
追記 映画は「圓照寺」の本物の門で撮影されているようです。(よく使わせてくれま
したね、、、。それにしても、構図といい、近景の植え込みや樹の枝といい、
行定監督さんと撮影監督の李屏賓さん、上手に撮るもんですね、、、。ちなみに
主題歌は宇多田ヒカルさんの「Be My Last」です。)
追記の追記 ですが、「圓照寺」の関係者の方に、「この門を(日常的に)何と呼んでい
ますか」と聞いても、おそらく「中門」とは言わないと思います、、、。
私は、以前、若狭の「萬徳寺」に行った時に、お寺の関係者の方に、庭園
から遠敷川を望む門について、「この門は何門ですか?」と聞いたらば、
「山門ですけど、それが何か、、、?」と、やや怪訝そうに言われてしま
ったのです、、、。
萬徳寺の「中門」じゃなくて「山門」
追記の追記の追記 黒木は樹皮のついたままの木材とばかり思っていましたら、折口信
夫全集第三巻古代研究(民俗学篇2)大嘗祭の本義十一に次のような
記述がありました。
(悠紀殿・主基殿などの)御殿は、黒木を用いる。黒木といふ
のは、今考へる様に、皮のついたままの木といふ事ではなくて、
皮をむいて、火に焼いた木の事である。かうすると、強いので
ある。昔は京都の近くの八瀬の里から、宮殿の材木を奉った。
此を八瀬の黒木というた。後世には、売り物として、市にも
出した。此黒木を出すのが、八瀬の人々の職業であった。
折口信夫さんは、なかなか科学的なのでした。それにしても八瀬の
童子といったら、天皇の柩を担ぐ人達ではなかったでしょうか?
竹内結子さんと妻夫木聡君(後姿)です。
三島由紀夫の豊饒の海『春の雪』の映画の1シーンです。竹内結子さん(聡子さん)は宮様
と結婚する前に、妻夫木聡君(清顕)の子供を身ごもりますが(身ごもされた?)、大阪で堕
ろした(堕ろさせられた?)あと、奈良の尼寺に入ってしまいます。尼寺のモデルは奈良の
やまのべの道から少し入った「圓照寺」と言うお寺です。小説では「月修寺」。
写真は実際の「圓照寺」。
妻夫木君、竹内結子さんに会いたくて「圓照寺」に行きます。
でも、尼寺ですから、門から中には入れてくれません。
2月26日の設定のようですが、奈良と言えども寒いので、何日も門の前に居たので風邪
をこじらせて肺炎になり、二十歳の若さで亡くなってしまいます。(小説の中では、その
後、何度も生まれ変わります。)
もう、お判りですよね。この門は「中門」のはずです、、、。(「圓照寺」には、この門
の手前に黒木門と言うのもあるんです。斎宮が伊勢に行く前に寄る、京都嵯峨野の野宮
神社(ののみやじんじゃ)にも、樹皮がついたままのクヌギによる「黒木の鳥居」があ
ります。黒木は「樹皮を剥いていない。」の意で、天皇の殯宮「もがりのみや」も黒木で
造営します、、。「斎宮」と「尼寺」と「死」と何か関係あるんでしょうか? 民俗学
関係の本などに、「○○の死と再生」とかありますけど、良く判らないんです、、、。)
圓照寺の黒木門です。
野宮神社の黒木鳥居です。
(でも何故か野宮神社は「良縁」「縁結び」の神様と言う事になっているのです、、、。)
(12月31日は大晦日なのに、閲覧数151でした。皆様、お忙しいのに目を通していただい
て、ありがとうございます、、、。)
追記 映画は「圓照寺」の本物の門で撮影されているようです。(よく使わせてくれま
したね、、、。それにしても、構図といい、近景の植え込みや樹の枝といい、
行定監督さんと撮影監督の李屏賓さん、上手に撮るもんですね、、、。ちなみに
主題歌は宇多田ヒカルさんの「Be My Last」です。)
追記の追記 ですが、「圓照寺」の関係者の方に、「この門を(日常的に)何と呼んでい
ますか」と聞いても、おそらく「中門」とは言わないと思います、、、。
私は、以前、若狭の「萬徳寺」に行った時に、お寺の関係者の方に、庭園
から遠敷川を望む門について、「この門は何門ですか?」と聞いたらば、
「山門ですけど、それが何か、、、?」と、やや怪訝そうに言われてしま
ったのです、、、。
萬徳寺の「中門」じゃなくて「山門」
追記の追記の追記 黒木は樹皮のついたままの木材とばかり思っていましたら、折口信
夫全集第三巻古代研究(民俗学篇2)大嘗祭の本義十一に次のような
記述がありました。
(悠紀殿・主基殿などの)御殿は、黒木を用いる。黒木といふ
のは、今考へる様に、皮のついたままの木といふ事ではなくて、
皮をむいて、火に焼いた木の事である。かうすると、強いので
ある。昔は京都の近くの八瀬の里から、宮殿の材木を奉った。
此を八瀬の黒木というた。後世には、売り物として、市にも
出した。此黒木を出すのが、八瀬の人々の職業であった。
折口信夫さんは、なかなか科学的なのでした。それにしても八瀬の
童子といったら、天皇の柩を担ぐ人達ではなかったでしょうか?