いままで「中門」についてふれてきたのは、寝殿造り、書院造、などでしたが、では
一般庶民の家、つまり「民家」の場合はどうなのでしょうか?
1952年、岩波写真文庫「日本の民家」、表紙のうらの図表です。
上から二番目の
で示された範囲のうち、太平洋側の岩手県の民家は「南部曲り屋」、日本海側の新潟県の
一部、山形県、秋田県の民家は「中門造り」と呼ばれていたと思います。次のような、
間取りと外観です。
出っ張っているところに、正面に入り口、馬厩があるのが特徴のようです。(「南部曲り
屋」は、馬厩があるのは同じなのですが、入り隅に入り口がある事で区別されているよう
です。) ですが、「中門造り」と呼ばれて同じ「中門」とは言え、光浄院客殿の「中門」
とは、「出っ張っている」形状が似ているだけで、「門付け」と関連した「中門」本来の
意味合いと、何かしらの関連があるとは、私には思えません。18世紀までさかのぼる民家
とすれば、日本海側ですし、北前船などの交易に伴う、大工さんなどの移動、または普通
の人々の見聞による言葉の伝播なのかな?くらいしか思いつきません、、、。
ところが、事は、これだけでは終わらなかったのです、、、。
民家の「中門造り」その2 に続く、、、。
一般庶民の家、つまり「民家」の場合はどうなのでしょうか?
1952年、岩波写真文庫「日本の民家」、表紙のうらの図表です。
上から二番目の
で示された範囲のうち、太平洋側の岩手県の民家は「南部曲り屋」、日本海側の新潟県の
一部、山形県、秋田県の民家は「中門造り」と呼ばれていたと思います。次のような、
間取りと外観です。
出っ張っているところに、正面に入り口、馬厩があるのが特徴のようです。(「南部曲り
屋」は、馬厩があるのは同じなのですが、入り隅に入り口がある事で区別されているよう
です。) ですが、「中門造り」と呼ばれて同じ「中門」とは言え、光浄院客殿の「中門」
とは、「出っ張っている」形状が似ているだけで、「門付け」と関連した「中門」本来の
意味合いと、何かしらの関連があるとは、私には思えません。18世紀までさかのぼる民家
とすれば、日本海側ですし、北前船などの交易に伴う、大工さんなどの移動、または普通
の人々の見聞による言葉の伝播なのかな?くらいしか思いつきません、、、。
ところが、事は、これだけでは終わらなかったのです、、、。
民家の「中門造り」その2 に続く、、、。