北海道函館市の建築設計事務所 小山設計所

建築の設計のことやあれこれ

「喪われた悲哀」と「愛されない能力」 その8

2015-10-24 16:14:08 | 日記
さて、大変申し訳ないのですが、話はますます暗くなります、、、。1964年の東京

オリンピック男子マラソンで銅メダルになった円谷幸吉さんは、4年後の1968年に

なくなります。その時の遺書の全文なのですが、長くはないので書き写してみます。


   
   父上様母上様 三日とろろ美味しうございました。干し柿 もちも美味しうござ  

   いました。

   敏雄兄姉上様 おすし美味しうございました。

   勝美兄姉上様 ブドウ酒 リンゴ美味しうございました。

   巌兄姉上様 しそめし 南ばんづけ美味しうございました。

   喜久造兄姉上様 ブドウ液 養命酒美味しうございました。又いつも洗濯ありが

   とうございました。

   幸造兄姉上様 往復車に便乗さして戴き有難とうございました。モンゴいか美味

   しうございました。

   正男兄姉上様お気を煩わして大変申し訳ありませんでした。

   幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、

   良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、

   光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、

   幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、

   立派な人になってください。

   父上様母上様 幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。

   何卒 お許し下さい。

   気が休まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。

   幸吉は父母上様の側で暮しとうございました。



円谷選手は現在の福島県須賀川市の出身です。私の母方の祖父は福島県との県境に近い

宮城県県南の角田市の花島というところの出身なのですが、須賀川市とは同じ阿武隈川沿

いです。今思うと祖父はかなり福島なまりにちかい東北弁だったように思います。私の母

の世代までの東北人は、家に大事なお客さんが来ると「鯉料理」を出すのです。戦前までの

東北地方の海から離れた内陸では、それが特別な料理だったのかも知れません。「とろろ

料理」もよく食卓に出て、料理といってもすり鉢で自然薯(じねんじょ)をすって、煮干の

だしの濃い目の味噌汁で、すり鉢の中で少しずつ、「すりこぎ」で混ぜるのです。(最初は

本当にすこしずつ混ぜないと分離してしまう。)そして、それを麦飯などのご飯にかけて

食べるのです。「とろろ」ご飯の時は、何故かいつも鮭の切り身でした。


円谷選手が、「父上様母上様 三日とろろ美味しうございました」と書いている、「とろろ」

は、料理屋さんなどで出てくる小鉢の醤油をかけて食べる「とろろ」ではなくて東北式の、

麦飯にかける味噌汁の「とろろ」ではなかったのでしょうか?




           「喪われた悲哀」と「愛されない能力」 その9 につづきます。
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