囲碁の高尾紳路九段が名人位に返り咲きました。10年ぶりの名人、40才です。3連勝
3連敗のあとの最終第7局、終盤は優勢とはいえハラハラドキドキでした。
最後に解説の片岡聡九段が解説で指摘していた、左辺197手目の、高尾さんの白の大石の
「下付け」の1線の寄せを、黒の井山さんが打ったときには、「一体どうなっちゃうの?
高尾さん!」でした。(僕の棋力ではの話です。「プロはこんなところまで寄せるんだ」
って感じ、、もちろん井山さんは見落としません、、、と言うか、2人とも百も承知で
打ってるんでしょうけど、、、。最後は高尾さんの2目半勝ち。)
高尾紳路さんが、本因坊を3連覇して、雅号「秀紳」お披露目のときの写真。
中央は高尾紳路さんの師匠、名誉棋聖の藤沢秀行さん。(「秀紳」の雅号を考えてくれた
のもこの書を揮毫したのも秀行先生、書も建築家の白井晟一さんみたいに上手か、それ
以上、、、。秀行先生、この時82歳でしょうか、亡くなる2年前だと思います。)
秀行先生の右側、紋付袴でニコニコして立っているのが、当時31歳の高尾紳路さん。
嬉しそうな、とても良い表情です。人生、「生きてて良かった」と言うのは、こう言う時
なんでしょうね、、、。
僕は残念ながら、建築の設計の師と呼べる人には、巡り会えませんでした、、、。
もっぱら、先方の事情というよりは、こちらの問題だったのでしょう。弟子にもなれな
かったのです、、、。(もちろん師匠は無理、、、。)
師匠と弟子といえば、内田樹さんの『先生はえらい』。
内田樹さんが、押しかけ女房のようにして「自称弟子」になったのは、フランスの哲学者
エマニュエル・レヴィナス(Emmanuel Lévinas)先生なのですが、
この間、来年は大学受験の我が家の坊主の模試の問題を見ていたら、、、
問: 次の ア、イ、ウ の、他者についての考察の組み合わせで、正しいものを選べ。
ア 未開社会の人々の思考が規則性をもった複雑で巧みな体系に支え
られていることを明らかにして、未開社会の人々の思考を原始的で
劣っているとみなす西洋文明中心の考え方を批判した。
イ 『百科全書』の編集に従事する一方、ある著作の中でヨーロッパ
の堕落した習俗をタヒチの人々の純粋な生活と対置し、西洋文明の
ありかたに批判の目を向けた。
ウ 「私」の主体性から出発する近代以降の哲学のあり方を批判し、
他者が自己の了解を超えた存在であることに注目して、倫理は、
「私」が「他者」に問いただされる存在であると考えるところ
から始まるとした。
と言う倫理社会の問題がありまして、正解は、アがレヴィ・ストロース、イがディドロ、
ウがレヴィナスで、その組み合わせを答えるのですが、学習の手引き〔解答・解説集〕の
中で、エマニュエル・レヴィナスについて、次のように解説しているのです。
ユダヤ人としてナチスによるホロコーストを体験したレヴィナスは、
「他者」をめぐる思想を展開した哲学者として知られる。彼によれば、
「他者」の最も基本的な性格は、「私」とは根本的に同じではあり得
ないということ(他性)であり、また、「他者」は「私」の自己意識の
なかに取り込めないがゆえに圧倒的な重みをもつ存在ということである。
このような観点から、彼は、自我を中心にすべてを説明しようとする
思考(全体性)を生み出した西洋近代哲学を批判し、倫理は自我からで
はなく、「他者」からはじまると説いた。
いやぁー、短いのに上手にまとめるもんですねぇー、、、。(「全体性」って何だろう?
って思っていた、、、)でも、僕らが高校生の頃には、エマニュエル・レヴィナス先生
なんて、絶対に試験に出なかったんでないの、、、?
追記 残念ながら、我が家の坊主のセンター試験の社会は地理で、倫理社会は選択して
いません。
追記の追記 私が、2017年1月15日と16日に行われたセンター試験の地理の問題を
(30分くらいで)解いてみましたら83点でした。我が家の坊主は79点
でした。坊主は「僕は現役なのに3年間何をやっていたんだろう?」と
ガクッと来ていました。悪い父親です、、、、。