北海道函館市の建築設計事務所 小山設計所

建築の設計のことやあれこれ

第76期囲碁本因坊戦七番勝負第1局 2日目 つづき 

2021-05-12 08:53:37 | 日記

建築会社としての『井上工業』は、実はとても大きな会社で、スーパーゼネコン、大手ゼネコン、

に次ぐ、群馬県の『地域ゼネコン』兼『地域財閥』と言った感じだったようなんです。

井上房一郎さんは、私企業の社長と言うよりも、なかなかの文化人?だったみたいで、岩波新書の

『日本美の再発見』という桂離宮の本を書いたドイツ人建築家 ブルーノ・タウト(Bruno Julius

Florian Taut)さんを 高崎に招いて、何年かお世話をしたり、高崎観音を作ったり、交響楽団を

敗戦後の群馬に作ったりした人なのです。




在りし日の井上工業本社ビル。右上のペントハウスに、井上工業の『井』の字あります。








新潟から出てきた若き頃の田中角栄さんも、10代の後半(16~17歳の頃?)、昼は井上工業の

東京支店で社員として働き、夜は王子の中央工学校の夜学で勉強していたらしい、、、。








井上房一郎さんは以前からアントニー・レーモンドとは知り合いだったみたいで、これは、麻布笄町

の本家のアントニー・レーモンド 自邸の、パティオと庭を室内から見た当時の白黒写真なのですが





どうやらこの家を気に入って、高崎の自身の家を左右反転のプランで建ててしまったらしいんです。




『安全第一 井上工業』




井上工業の建築現場の写真なんですけど、群馬県じゃなくて茨城県。





筑波山の筑波山神社への参道の途中に建っている旧筑波第一小学校体育館 (現つくば松実高校)






元請のゼネコンは井上工業ですが、建築のほとんどは木造で(床から下は『懸崖作り』で、鉄筋

コンクリートの基礎工事を極力少なくしてある、、、。)、木工事はこのブログでも最初の頃に

書いた、『だいふみさん』こと田中文男棟梁の『真木建設』(当時)です。何故、ほとんどの

工事を担当する『真木建設』ではなく、群馬県の井上工業が、茨城県の公立小学校の公共工事の

元請になったのか? その経緯については全く判りません、、、。たぶん北関東の自治体には全て

入札願いが出してあって、木工事はAクラスだったとか、、、。『真木建設』は残念ながら、営団

地下鉄丸の内線の新宿御苑前駅に会社があって、茨城県内じゃなかったんですよね、、、。




体育館の内部写真。『登り梁:桔木(はねぎ)構造』と言うのか、木造としては非常に高度で難しい、

経験の必要な架構と思います、、、。日本国内で、ここ何十年かの間に建った木造建築の中では、

1番か2番の建築ではないでしょうか、、、?







設計者の下山眞司先生(筑波大学芸術専門学群デザイン主専攻 建築デザイン領域名誉教授)の

gooブログ『建築をめぐる話・・・つくることの原点を考える』より当時の軸組み構造模型写真

と図面です、、、。








当初の下山眞司先生と構造家の増田一真先生による断面矩形(かなばかり)図






田中文男棟梁の意見を採り入れた、実際の断面矩形図






建築の好きな若い方、是非、下山眞司先生のブログ『建築をめぐる話・・・つくることの原点を

考える』を読んで下さい。


https://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/42a1da660760328cf34d5fc9f10adf2e

https://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/b9957b5eb2065b38dbc67fdae5ece87d


井上工業も真木建設も、今はもうありません。下山先生も亡くなりました。筑波第一小学校も

地域の子どもの減少で統廃合されて、つくば松実高校という、登校困難な(変な日本語、、、)

生徒の高校になっているんです、、、。








終局しました。局後の検討、『感想戦』です。右端は新聞解説の河野臨九段。





建築の設計のやりとりも、こんな風に出来たらどんなに良いかと思ったことがあります、、、。






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第76期囲碁本因坊戦七番勝負第1局 2日目

2021-05-12 07:36:38 | 日記
午前9時4分、立会人の 趙治勲 名誉名人・二十五世本因坊が封じ手を開封して、対局が再開されました。








今回の対局室の普段の様子。照明器具はそのままですけど、盤上にはTVカメラと追加の照明器具。





壁はラワン合板、天井は屋根の野地板が、そのままあらわしでしょうか、、、? 床は、リノリウムか

フローリングの上に、あとから最近の500角のタイルカーペット敷きのような気がします、、、。

天井の空調ダクトは、 高崎の井上房一郎邸だけの設備で、麻布笄町に建っていた

本家のアントニー・レーモンド 自邸には、たぶん付いてなかったんではないのかな、、、?




左手の暖炉のすぐ横に、囲碁のタイトル戦の記録係の人が座っているという、

今まで見たこともないような風景、、、。





杉丸太の柱と登り梁の組み合わせ、同じく半割の『挟み頬杖(はさみほおづえ)』の架構。

廊下との仕切りの太鼓襖(たいこふすま)の鴨居と力板。半割の挟み頬杖と短い丸太の頬杖が、

とても上手に力板をかわしています。(ごっつい断面の梁や差し鴨居にはしません。最近、

『力板(ちからいた)』なんて、めったにお目にかからなくなりました、、、。)





高崎の井上房一郎邸の平面図。麻布笄町のアントニー・レーモンド 自邸とは左右反転です。





   (なんですけど、トイレの配置とか、ちょっと信じられないようなプランになってしまって

   います、一体、どうしてこんな事になってしまったのか ? チョッと経緯は判りません、、、。)





パティオ





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