いつのまにか、30年以上前に住んでいた早稲田の木造アパート(例の無頼の生活をして
いた、、、)で麻雀大会をする話は進んでおり、麻雀さえ出来ればいいM野君やS君にKu田
君、今は横浜で中学校の美術教員をしているY津さん、中には函館の下請け協力会の電
気屋のS井さんまで集まり始めていて、総勢で2卓は囲める10人程が集まりだしていたの
であった、、、。S君が名付け親の『○○山房』のアパートは、2階に上がってみると玄
関の脇に「こんな横長の受付みたいな窓あったかなぁ?」という感じの窓があったけれども
、部屋数はあるので2卓は十分に囲める、、、。30年ぶりなのに、何故か雀卓と雀牌
は、すでに2卓分がアパート内に用意されており、奥の部屋では何人かが雀卓を組み立て
たりの準備をし始めている、、、。(みんな、こういうのはテキパキと早いのだ。)
奥の部屋は北側で、さすがに麻雀をするのには暗くて、牌の字が読みずらくてダメだとな
って、照明を点けようとしたが、点かない。電気屋のS井さんに頼んで、電源を切って貰
って僕が電球を調整する。S井さんは「あいよっ!」と手馴れたものだ。そのとき窓の外を
見たら、何だか外壁の色が違う、、、。赤いエンジ色なのだ。それに、だいいち3階建て
じゃなくて、木造なのに4階建てになっている、、、。屋根は桐生の織物工場のように
ノコギリ状のギザギザだ、、、。
「おかしいな?」と思って、外に出ようとしたら建物の中だったはずの階段が、建物の外に
突き出していて、華奢なアルミのササラ桁1本の両側に踏み板が交互に1枚ずつ出ている
のだか、肝心の手摺りが付いてないので、グラグラしているし落ちたら危なくてしょうが
ない造りなのだ。
それでも下に降りて、『○○山房』のあった『○○坂』の周辺を少し歩いてみたら、その
赤いエンジ色の4階建ての建物は、どう見ても『○○山房』じゃない、、。1階にあった
洋品店もラーメン屋も豚カツ屋もないし、向いのパン屋の3軒長屋もない。建っている場
所が200メートルくらいは、元の『○○山房』より坂の上じゃないか、、、!!!
「こりゃ大変だ。」と思って、件の華奢なアルミの階段をのぼってみると、もう麻雀の音は
ジャラジャラと始まってしまっている、、、。
みんなに「『○○山房』じゃないよっ!大変だよ!」と言っても、もう麻雀始めちゃってい
るから「だから何なの?もう麻雀始めちゃったよ。何とかならないの?何とかなるんでない
の?」モード。(麻雀始めちゃうと、すでに普段とは人格が変わってしまっている、、。)
そこに下の洋品店のおばさんらしき女性が上がってきて(店はもうないし、例の階段をど
うやって登ってきたのかが不思議。)、「あんたら、大きな音を出して冗談じゃないよ!
勘弁してよ!やめて頂戴!」と、怒鳴り込んできた。そこに、やはり例の階段を上がって
来た郵便局の男の人が、あて先がカタカナ名前の郵便物を僕に渡そうとする。「やっぱ
り、ここは『○○山房』じゃないんだ。ヤバイ、どうしょう、、、!」と、僕はますます
1人で焦る、、、。
それでも、みんなは麻雀をやめようともせず、「お前がなんとか対応しろ」モード。こっち
は「なるべく大きな音とか声を出さないように気をつけますし、なるべく早く終わらせる
ようにしますから。」とペコペコ。それでもカタカナ名前の本当に住んでいる人(人達)
が帰ってきたら大変な事になってしまう。ますます、僕だけが焦り続ける、、、。
そのうち、S君かM野君のどちらかが「下のラーメン屋か豚カツ屋にも気を遣って、店屋物
を人数分とってやればいいんじゃないの、、、?」とか言い出す始末。でも、それって僕に
「雀飯」の手配をしろって言う、体の良い口実じゃないか、なんて勝手な奴らなんだ!!!
と、言うところで夢から醒めた、、、。
(夢の中なのに、あんなに麻雀の好きだった幸田君は出てきません、、、。)
追記 2階から建物の1階に降りようとした時に出てきた「華奢なアルミのササラ桁1
本」の不思議な階段は、なんだか「黄泉比良坂(よもつひらさか)」のようです。
追記の追記 『2階に上がってみると玄関の脇に「こんな横長の受付みたいな窓あったか
なぁ?」という感じの窓があったけれども』とあるのは、目白の吉村事務所の
玄関を入ってすぐ左の受付事務の窓口なのかも知れない、、、。今は吉村
順三ギャラリーの為に撤去されてしまっているけど、、、。
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