せっかく鎌倉まで来ましたので、、、。
鶴岡八幡から、東に滑川をさかのぼると、浄明寺のバス停の先に、茶道の家元がありま
す。その敷地内に、「旧一条恵観山荘」という建物があるのです。
これは良い建物です。
炉の切ってある部屋が三つあったと思いますが、一番東の四帖半の北側の三帖程度の部屋
に、料理を暖めるためなのか、不思議な炉があって、何と、暖気がかやぶき屋根の天井裏
にまわって建物を暖めるという、当時としては信じられないような「暖房設備」のついてい
る数奇屋建築なのです。
杉戸
長四帖から六帖間
長四帖の茶室
鎌倉に移築される前は、京都の下賀茂神社の西に建っていたらしく、長四帖の床の脇の
障子窓からは、次の記事の「愛宕山」が見えたのではないかな? というのが私の推理なの
ですが、、、、。
追記 30年少し前に、家元の敷地内に再移築される前は、もう少し下流のところに
建っていて、道路から見えたのです。当時は、わざわざ建物の用心のために、
裏の別の建物に管理人の夫婦の方に住んでもらって維持されていました。国宝級
の建物を維持管理するのは大変な負担なのです、、、。
(家元の名前はパソコンで変換出来ず、断念しました。申し訳ありません、、。
「炉の切ってある部屋が三つあったと思いますが」は結果的に間違いではないので
すが、写真の六帖間の奥の三帖間には、炉は切ってなかったと思います、、。)
追記の追記 すいません。一条恵観山荘が建っていたのは、下賀茂神社じゃなくて上賀茂神社
の西の、現在の西賀茂川上町の辺りで、すぐ西に山が迫っていたので、「愛宕山」
は見えなかったと思います、、、。
鶴岡八幡から、東に滑川をさかのぼると、浄明寺のバス停の先に、茶道の家元がありま
す。その敷地内に、「旧一条恵観山荘」という建物があるのです。
これは良い建物です。
炉の切ってある部屋が三つあったと思いますが、一番東の四帖半の北側の三帖程度の部屋
に、料理を暖めるためなのか、不思議な炉があって、何と、暖気がかやぶき屋根の天井裏
にまわって建物を暖めるという、当時としては信じられないような「暖房設備」のついてい
る数奇屋建築なのです。
杉戸
長四帖から六帖間
長四帖の茶室
鎌倉に移築される前は、京都の下賀茂神社の西に建っていたらしく、長四帖の床の脇の
障子窓からは、次の記事の「愛宕山」が見えたのではないかな? というのが私の推理なの
ですが、、、、。
追記 30年少し前に、家元の敷地内に再移築される前は、もう少し下流のところに
建っていて、道路から見えたのです。当時は、わざわざ建物の用心のために、
裏の別の建物に管理人の夫婦の方に住んでもらって維持されていました。国宝級
の建物を維持管理するのは大変な負担なのです、、、。
(家元の名前はパソコンで変換出来ず、断念しました。申し訳ありません、、。
「炉の切ってある部屋が三つあったと思いますが」は結果的に間違いではないので
すが、写真の六帖間の奥の三帖間には、炉は切ってなかったと思います、、。)
追記の追記 すいません。一条恵観山荘が建っていたのは、下賀茂神社じゃなくて上賀茂神社
の西の、現在の西賀茂川上町の辺りで、すぐ西に山が迫っていたので、「愛宕山」
は見えなかったと思います、、、。
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