北海道函館市の建築設計事務所 小山設計所

建築の設計のことやあれこれ

追記の添付写真

2014-12-05 16:28:06 | 日記
前の記事と追記の添付写真です。


瀬川清子さんの『女の民俗誌●そのけがれと神秘』(東京選書)に載っている「忌屋(いみ

や)」の写真です。(昭和10年の写真ですから、たぶんもう残っていません、、、。愛知

県振草村ですから、現在の愛知県北設楽郡東栄町、つまり折口信夫が民俗採訪になんど

か訪れた「花まつり」の村、、、。妹島和代さんの実家が近い、、、。)





そして、京都府の綾部の産屋の遺構の写真です。(内部の写真もあります。このブログの

「産屋」の記事のカラー写真と同じものと思われます。)





そして、、京都山崎妙喜庵の茶室「待庵」です。





(安井杢のホームページの写真を使っちゃいました。久佐君、堪忍して!)


追記  「産屋」もアジール、「茶庭」もアジールです。武士も茶庭の中では、刀を腰

    からはずします。「刀掛け」もあって茶室の中に刀は持ち込めません。「茶庭」
 
    には結界としての「中門」も残っています。


追記の追記  読み返してみると、女の人の「月のもの」の期間の待避所?(それも夜だけ

       の場合もある。)の「忌屋(いみや)」、「待屋(たいのや)」、「別屋(べつ

       や)」、「他屋(タヤ)」、が「産屋(うぶや)」とゴッチャになってしまっ

       ている。「呪術的思考」としかでも言いようがない、、、、。とにかく、

       少なくとも論理的ではない、、、。

       「産屋」もアジール、「茶庭」もアジール、もチョッと乱暴だ、、、、。


追記の追記の追記 「産屋」がアジールと言うのは、昔の「遠流」(壱岐、佐渡、八丈島

         など)をイメージして頂くと良いのかもしれません。このブログの

         最後の方で出てくるはずの「刑務所」も同じか、、、? (女性の方に

         は、あまり良くないイメージで申し訳ないのですが、、、。) 




クイズ  妙喜庵待庵は床の間が北なのですが、東の屋根と西の屋根で勾配が違います。

     どうしてでしょうか?




     





追記その4  京都山崎妙喜庵の茶室「待庵」には昔から『新築』か『移築』かの議論が

       あるようなのです。「産屋」としての「待屋」は、『主屋』の側や周囲に

       「くっつく」ように付属する、たいていの場合は屋根も一段低い『下屋

       (げや)』としてあったようなのですが、利休は若い頃、当時の堺の街中

       や周辺の農村部で『下屋』としての「待屋」を見たことがあったのか?それ

       ともなかったのか、、、? (だいいち、当時の堺の街中や周辺の農村部の

       人々は、一体どこで出産をしていたのか、、、?)いずれにせよ茶室「待庵」

        は、妙喜庵の『主屋』に『下屋』のように『くっついている』のは間違いな

       いように思うのですが、、、。でも、『後からくっついているみたい』だから

       『移築』とは限らないのが難しいところで『主屋』の完成後に何年かしてから、

       増築として『新築』した可能性もある訳で、全面解体修理でもして、棟木や桁

       に対する垂木の納まりの変更跡とか、勝手の入り口の結構な段差の納まりの

       変更跡とかが確認されない限り、本当のところは判りそうにありません、、、。



       (僕自身は、今のところは、どちらかと言うと『移築派』と言うことにして

        おきます、、、。)







      
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