その、朱南哲さんの「韓国の伝統的住宅」の中に、次のような記述があります。
女子は中門から外に出ることが出来ず、必要があって中門を出入り
する時には、それに対する便法として被衣(かつぎ)をかぶるように
した。
大門でも小門でもなく、「中門」なのです。日本でも絵巻物などを見ると、平安時代の
女の人は寝殿造りの庭で何か行われているのを見るときに、御簾(みす)越しに扇子で顔
を隠しながら見たようです。現代でも中東には女性は家の外では顔を隠さなければいけ
ない国があるようです。(女子サッカーか何かの競技でも特例があったようです。)
もう一度、辛氏家の平面図に戻ります
「内房」とあるのは「主屋」と呼ばれて、女性達の住んでいる部分で、囲われている庭は
「内庭」、付属する女性専用トイレは「内厠」と呼ばれているようです。
「舎廊房(サランバン)」とあるのは「舎廊棟(サランチェ)」呼ばれて、主人(男性)の住ん
でいる部分で、囲われている庭は「舎廊庭(サランマダン)」、付属する男性専用トイレは
「外厠」と呼ばれているようです。
(子供は数に入っていないのでしょうか?だいいち男の子と女の子の区別など無かったのか
もしれません。子供はどこでも出入り自由?この辺りは『子供の誕生』を参照か、、、?)
「中門」を入ると、そこは「内庭」で女性達の庭です。台所(釜屋)もあります。「キムチ
小屋」は「主屋」の後ろ側(後庭)でしょうか?(韓国では門付けの時、キムチの甕や味噌置
き場を御祓い?するようなのです。それにしても「後門」と言うのは何だか怪しい、、、
日本で言うと、西行法師の「北面の武士」の「北面」のような、、、。)
おそらく「内庭」に付属している「房」が女性の使用人などの部屋で、「中門」の手前の
「行廊庭」に付属している「房」が男性の使用人などの部屋と思われます。(女性の
「房」の数の方が多い、、、男はどこでも食べていけと言う事か、、、。)
このあたりは、朝鮮・韓国における儒教文化の強さの現れでしょうか?
追記 『内』の字は女性と関係があるのかも知れません。寝殿造りの中門の脇の『内侍所』
は、女性の技芸者?の為の建物だったようですし、『内儀』は「おかみさん」の事
でしょうし、『お姉さん』の「ねえ」も「ない」と似ていませんか、、、?
女子は中門から外に出ることが出来ず、必要があって中門を出入り
する時には、それに対する便法として被衣(かつぎ)をかぶるように
した。
大門でも小門でもなく、「中門」なのです。日本でも絵巻物などを見ると、平安時代の
女の人は寝殿造りの庭で何か行われているのを見るときに、御簾(みす)越しに扇子で顔
を隠しながら見たようです。現代でも中東には女性は家の外では顔を隠さなければいけ
ない国があるようです。(女子サッカーか何かの競技でも特例があったようです。)
もう一度、辛氏家の平面図に戻ります
「内房」とあるのは「主屋」と呼ばれて、女性達の住んでいる部分で、囲われている庭は
「内庭」、付属する女性専用トイレは「内厠」と呼ばれているようです。
「舎廊房(サランバン)」とあるのは「舎廊棟(サランチェ)」呼ばれて、主人(男性)の住ん
でいる部分で、囲われている庭は「舎廊庭(サランマダン)」、付属する男性専用トイレは
「外厠」と呼ばれているようです。
(子供は数に入っていないのでしょうか?だいいち男の子と女の子の区別など無かったのか
もしれません。子供はどこでも出入り自由?この辺りは『子供の誕生』を参照か、、、?)
「中門」を入ると、そこは「内庭」で女性達の庭です。台所(釜屋)もあります。「キムチ
小屋」は「主屋」の後ろ側(後庭)でしょうか?(韓国では門付けの時、キムチの甕や味噌置
き場を御祓い?するようなのです。それにしても「後門」と言うのは何だか怪しい、、、
日本で言うと、西行法師の「北面の武士」の「北面」のような、、、。)
おそらく「内庭」に付属している「房」が女性の使用人などの部屋で、「中門」の手前の
「行廊庭」に付属している「房」が男性の使用人などの部屋と思われます。(女性の
「房」の数の方が多い、、、男はどこでも食べていけと言う事か、、、。)
このあたりは、朝鮮・韓国における儒教文化の強さの現れでしょうか?
追記 『内』の字は女性と関係があるのかも知れません。寝殿造りの中門の脇の『内侍所』
は、女性の技芸者?の為の建物だったようですし、『内儀』は「おかみさん」の事
でしょうし、『お姉さん』の「ねえ」も「ない」と似ていませんか、、、?
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます