北海道函館市の建築設計事務所 小山設計所

建築の設計のことやあれこれ

囲碁名人戦

2014-10-06 17:01:48 | 日記
現在、井山名人と挑戦者河野臨九段の囲碁名人戦が真っ最中、内藤女史も大活躍。(朝日

は別に社会面や政治面だけではない。でも僕は15年以上前から、とってもいないし、読ん

でもいない。ゴメンナサイ、、、。)三局終わって、河野九段が一つリード。(七局全部

見せて!心情的に応援している、秀行先生のお弟子さんの高尾山じゃなくて高尾さんも

頑張って!)前に「いつの間にか半目勝ちをしてしまう名人」と書きましたが、ここに、

「あえて難しい手を打たなくても、平易なわかりやすい手で」と書き加えても良かった。

打てないのではない、打たないのだ。最近の若い棋士の碁は、序盤も布石も吹っ飛ばして

いきなり最初から難解な戦いに突入して、そのまま終局まで雪崩れ込むという碁が多い。

昔の、チクリン時代の大竹九段や林海峰九段の頃のような、四隅の定石から辺に移って、

ややしばらくあってから、いよいよ石と石がぶつかります、(それも辺が多かった、、、)

なんて事はない。(だが当時でも藤沢秀行さんだけは、異星人のように、現在に通じるよ

うな碁を打っていた、、。)

プロなら、ある局面で、どんな難しい手でも読める。(ほっといても、読めてしまう。)

ただ、実際の、ある局面で、そんな難しい手を、わざわざ選択して打つかどうかは、別の

問題なのだ。囲碁は難しさを競う競技ではない。(難しいのと、難解なのとは、違う。)

定山渓の第三局でも、解説の武宮正樹九段は、あえて難しい手を選択し続ける両対局者

に、困惑しているように思えた、、。(実は、若い頃、武宮先生の入門書で囲碁の勉強を

始めました、、、。「宇宙流」好きでした、、、。まるで建築みたい、、、。)

最近の若い人の建築の設計は、わざわざ難しい設計に持ち込もうとしているだけなので

は?と思えるものも少なくない。 (それにしては大事なところは「ポッカリ」抜けていた

りして、、、。囲碁なら簡単に負けてしまいます。投了です。)

設計って、難しさを競うためにあるのではないのでは? 渡辺一夫さんは、「狂気につい

て」と言うエッセイの中で、人間の愚かしさについてふれている。後世の人から見たら、

「何で、こんなことを?」としか思えないようなことを、ヨーロッパのお姫様たちは繰り

返していた、、、、。(山本学冶先生は、東大で渡辺一夫さんの講義を聞いていた様な気

がする、、、。入学試験で「ガルガンチュア物語」出たもの。)



  
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