1989年。時代は昭和から平成に変わる、、、。私の母は、本当は大正15年生まれなのに、
昭和生まれだといって、すましてる、、、。(昭和元年って何日あるの?、、、。3月生
まれなのに、、、。昭和64年も、以下同様。) 平成元年2月24日、その車列は、八王子、
高尾山の麓に向かっている。日産プリンスロイヤルの寝台車。設計者のひとりである、
千野甫さんは、自宅近くの八王子の街道で、その車列を見守る、、。自分の設計した車。
それも、おそらく最後の「御奉公」、、、。(今はトヨタに変わってしまった、、、。)
わかるなー、こういうときの設計者の気持ち。建築の設計者も、かくありたいもので
す、、、。車も建物も、ものを設計する人の気持ちは同じです、、、。
少し長くなりますが、ある文章の最初の部分を引用します、、、。
建築家として、もっとも、うれしいときは、建築ができ、そこへ人が入って、そこでいい
生活がおこなわれているのを見ることである。
日暮れどき、一軒の家の前を通ったとき、家の中に明るい灯がついて、一家の楽しそうな
生活が感ぜられるとしたら、それが建築家にとっては、もっともうれしいときなのではあ
るまいか。家をつくることによって、そこに新しい人生、新しい充実した生活がいとなま
れるということ、商店ならば新しい繁栄が期待される、そういったものを、建築の上に
芸術的に反映させるのが、私は設計の仕事だと思う。つまり計算では出てこないような
人間の生活とか、そこに住む人の心理というものを、寸法によってあらわすのが、設計
というものであって、設計が、単なる製図ではないというのは、このことである。
何度読んでも、うるうるっときてしまって、涙が出そうになる。最後までは長い文章なの
ですが、若い設計の方達には、是非、読んで欲しい、、、。吉村先生の、「建築と設計」
という文章です。(本当は長い副題が付くのですが、ここでは割愛します。)平易な文章
なのに、大事な事がちゃんと書かれいて、相手に伝わり易い文章、、、。吉村先生の設計
と同じだ、、、。同じ明治生まれの、林達夫さんや渡辺一夫さんの文章と似ている、、。
敗戦前も敗戦後も、何も変わらなかった人の、だからこそ書ける、文章、、、。どんな
理不尽があっても、設計にも、依頼主にも、ご自分にも誠実だった、吉村先生、、、、。
あっ、ダメだ、やっぱり涙が出そうになってきてしまった、、、、、。
昭和生まれだといって、すましてる、、、。(昭和元年って何日あるの?、、、。3月生
まれなのに、、、。昭和64年も、以下同様。) 平成元年2月24日、その車列は、八王子、
高尾山の麓に向かっている。日産プリンスロイヤルの寝台車。設計者のひとりである、
千野甫さんは、自宅近くの八王子の街道で、その車列を見守る、、。自分の設計した車。
それも、おそらく最後の「御奉公」、、、。(今はトヨタに変わってしまった、、、。)
わかるなー、こういうときの設計者の気持ち。建築の設計者も、かくありたいもので
す、、、。車も建物も、ものを設計する人の気持ちは同じです、、、。
少し長くなりますが、ある文章の最初の部分を引用します、、、。
建築家として、もっとも、うれしいときは、建築ができ、そこへ人が入って、そこでいい
生活がおこなわれているのを見ることである。
日暮れどき、一軒の家の前を通ったとき、家の中に明るい灯がついて、一家の楽しそうな
生活が感ぜられるとしたら、それが建築家にとっては、もっともうれしいときなのではあ
るまいか。家をつくることによって、そこに新しい人生、新しい充実した生活がいとなま
れるということ、商店ならば新しい繁栄が期待される、そういったものを、建築の上に
芸術的に反映させるのが、私は設計の仕事だと思う。つまり計算では出てこないような
人間の生活とか、そこに住む人の心理というものを、寸法によってあらわすのが、設計
というものであって、設計が、単なる製図ではないというのは、このことである。
何度読んでも、うるうるっときてしまって、涙が出そうになる。最後までは長い文章なの
ですが、若い設計の方達には、是非、読んで欲しい、、、。吉村先生の、「建築と設計」
という文章です。(本当は長い副題が付くのですが、ここでは割愛します。)平易な文章
なのに、大事な事がちゃんと書かれいて、相手に伝わり易い文章、、、。吉村先生の設計
と同じだ、、、。同じ明治生まれの、林達夫さんや渡辺一夫さんの文章と似ている、、。
敗戦前も敗戦後も、何も変わらなかった人の、だからこそ書ける、文章、、、。どんな
理不尽があっても、設計にも、依頼主にも、ご自分にも誠実だった、吉村先生、、、、。
あっ、ダメだ、やっぱり涙が出そうになってきてしまった、、、、、。
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