北海道函館市の建築設計事務所 小山設計所

建築の設計のことやあれこれ

火野葦平『糞尿譚』と池袋東武東上線

2014-12-25 16:34:52 | 日記
【閲覧注意】 以下、食事前および食事中などの方は読むのをおやめ下さい。


『糞尿譚』は火野葦平さんの芥川賞受賞作。北九州、若松の話。「糞尿」をめぐる小説で

はあるのですが、大正の終わりか昭和の始めに実際に北九州で起こった「糞尿騒動」を

題材にしたものだとばかり思って、調べてみたら判らない。大正14年の「鶴見騒擾事件」

のような、総勢2000人が二手に分かれて、スペインの「トマト祭り」のように、「糞尿」

を投げ合う「糞尿争奪合戦」かと思っていたら、全然違う、、。最後にチョコッとそんな

シーンがあるだけ、、、。(でも確か、そんな「騒動」があったような、、、。つまり、

当時は、それほど貴重品だったと言う事。)


スペインのトマト祭り






青空文庫『糞尿譚』

http://www.aozora.gr.jp/cards/001488/files/51168_53838.html



池袋東武東上線は気の毒で可哀想なんです。昭和30年代の、新宿の小学校の悪ガキ共は

親の世代から聞いたのか、「東上線は『肥溜め列車』だ。」と、吹聴しておりました。

調べてみたら、同様の事は西武池袋線でも、京都の蹴上から大津に行く京阪電鉄でも行わ

れており、東武だけではないのに今では社史からも抹殺されているようなのです。(でも

一時期とは言え、京都の街中の東山と山科のど真ん中を昼日中から、そんなものが走って

いたなんて、、、。戦争は、恐ろしい、、、。)





写真は当時の西武鉄道の「おわい列車」です。(東武鉄道のではありません。)下部の車台

は西武鉄道のものですが、上部の「木箱」はあくまでも東京市(当時)のもののようです。

(フェルディナ・ド・ソシュールの一般言語学講義の「シニフィアン(signifiant)」と

「シニフィエ」(signifié)みたいだ、、、。上部構造と下部構造で所有者が違う。)

「おわい列車」が運行されたのは、太平洋戦争末期と敗戦後何年かの、トラックなどの

運搬車両の燃料不足だった10年弱のことらしく、西武鉄道の場合は、東京市内の糞尿処理

の惨状(あふれてしまった、、、。)に「義」を感じた堤康次郎さんが「協力」したと言う

のが真相のようです。



京阪電鉄や池袋東武東上線で、行きは野菜を積んで、帰りは屎尿を積んでいたと言うのは

どうも本当のようで(衛生面はどうなっていたんでしょうかね?)、ジェーン・ジェイコブ

ズさんがこれを知っていたら、3Mのテープとかブラジャーの例を持ち出すよりも、もっと

明快に、都市と、その周辺との関係を説明できたのではないでしょうか?(しかし残念なが

ら、欧米はもちろん日本以外の東アジアにも、「糞尿」を肥料とする「文化」「習慣」は

ないらしく、ジェーン・ジェイコブズさんには、気が付きようもなかったのでしょうけれ

ど、、、、。)


敗戦前後の一時期とは言え、行きは「野菜」帰りは「糞尿」を運んでいた路線が、今では

行きは「睡眠不足のサラリーマンとOL」帰りは「草臥れ果てたサラリーマンとOL」を運ん

でいます、、、。当時、野菜畑だった埼玉県のあちこちが、今では東京のベッドタウン

です。(つまり、ベッドタウンー郊外ーと言うのは、本質的には野菜畑と同じかも知れな

いのです、、、。そう言えば、郊外の団地や分譲地やマンションは、見た目も、なんとな

く野菜畑みたいに見えなくもありません。)

「都市」と言うのは、ビルがたくさん建っているから「都市」ではないのです。「都市」

は「関係性」の中にしかありません。ジェーン・ジェイコブズさんが「都市の原理」の中

で言いたかったのは、そう言う事なんだろうと思います。



追記  「郊外小説」って「野菜畑小説」? 九州には「お花畑」と言う駅があるけ

    ど、、、。須磨ニュータウンの少年は、どうして「汚い野菜共」とか「一週間

    に三つの野菜を」なんて書いたんだろう?



写真は「事件」のあった、「須磨ニュータウン」。











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