『君主の礼拝堂』の断面図を見つけました。
調べましたら、どうやら、少なくとも『君主の礼拝堂』の内装設計はブルネレスキでは
なく、マッテオ・ニゲッティ(Matteo Nigetti)という建築家のようです。(1604年頃)
外観はこんな感じで
内部と外部とでは、同じ建物とは思えないくらい、全然違います。
(写真左下が観光客用の入口か?教会の正面からは入れないみたい。
この入口は、入っても地下で、『君主の礼拝堂』はその上?)
地下礼拝堂はブオンタレントという建築家の設計で、途中、コジモ1世の息子ドン・ジョ
ヴァンニ・ディ・メディチ自身が設計に関与した時期もあったらしく、ブルネレスキが
どの部分にどのように設計に関与したかは、僕にはよくわかりません。いちばん上の
クーポラがピエトロ・ベンヴェヌーティという建築家の手によって載ったのは、なんと
1836年、、、?(だけど今はクーポラの頂上部は撤去されてしまってトップライト?)
一般の観光客の人々がサン・ロレンツオ教会を訪れるお目当ては何と言っても新聖器室
のミケランジェロの彫刻でしょうから、、、
入口はいって、一度階段を少し降りて、どこかの階段から、いきなりここに出たら
断面図とはかなり違いますが、見上げると、こんな感じ。
観光客の人も「びっくりぽん」でしょうね、、、。
メディチ家礼拝堂(Cappella mediceo) その4 につづきます。
調べましたら、どうやら、少なくとも『君主の礼拝堂』の内装設計はブルネレスキでは
なく、マッテオ・ニゲッティ(Matteo Nigetti)という建築家のようです。(1604年頃)
外観はこんな感じで
内部と外部とでは、同じ建物とは思えないくらい、全然違います。
(写真左下が観光客用の入口か?教会の正面からは入れないみたい。
この入口は、入っても地下で、『君主の礼拝堂』はその上?)
地下礼拝堂はブオンタレントという建築家の設計で、途中、コジモ1世の息子ドン・ジョ
ヴァンニ・ディ・メディチ自身が設計に関与した時期もあったらしく、ブルネレスキが
どの部分にどのように設計に関与したかは、僕にはよくわかりません。いちばん上の
クーポラがピエトロ・ベンヴェヌーティという建築家の手によって載ったのは、なんと
1836年、、、?(だけど今はクーポラの頂上部は撤去されてしまってトップライト?)
一般の観光客の人々がサン・ロレンツオ教会を訪れるお目当ては何と言っても新聖器室
のミケランジェロの彫刻でしょうから、、、
入口はいって、一度階段を少し降りて、どこかの階段から、いきなりここに出たら
断面図とはかなり違いますが、見上げると、こんな感じ。
観光客の人も「びっくりぽん」でしょうね、、、。
メディチ家礼拝堂(Cappella mediceo) その4 につづきます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます