北海道函館市の建築設計事務所 小山設計所

建築の設計のことやあれこれ

津嶋神社 その4

2018-03-26 13:25:01 | 日記


その仁尾町家の浦地区のドローン映像です。









この映像の59秒から1分にかけて、『埋め墓』が並んでいるのが、山の端越しにチラッ

と見えるか見えないかなんですけど、かなり際どいんです、、、。






これが、その、家の浦の『埋め墓』です。





   つぎの写真も含めhttps://sugakun.exblog.jp「ShopMasterのひとりごと」より









今は近くの大きな町で仏さまは火葬にされているそうで、土葬墓としての『埋め墓』では

ないのだそうです。(葬儀も大きな町の『セレモニーホール』かも知れません。)









やはり、このブログの2015-12-17の記事、『両墓制と単墓制』のなかの『両墓制分布図』

なんですけど、





「両墓制の分布(佐藤米司氏による)」(『図説 民俗探訪事典』)

ブログbokuhakaze3、http://blog.zaq.ne.jp/bokuhakaze3/article/1000/より




おそらく、この仁尾家の浦の『埋め墓』は、瀬戸内海における両墓制の最西端のひとつと

思われます。何故これより以西の愛媛県や広島県の島嶼部や沿岸に分布していないのかは

不思議でなりません、、、。もしかしたら、『村上水軍』や『越智水軍』(真言宗らしい)

などの瀬戸内海西部の勢力範囲と、地元の塩飽諸島の『塩飽水軍』との勢力範囲との関連

があるのかもしれません、、、?(『塩飽水軍』にとっては、荘内半島は是非とも死守し

たい半島だったのか、、、?)







西日の落ちる仁尾町家の浦の浜辺です。








たぶん、この映像の撮影者の方の背中の後ろに、家の浦の『埋め墓』が並んでいるはず

なんです、、、。





                                  おしまい






追記  『塩飽水軍』は北前船の廻船の運航権を持っていたらしいのですが(自治権の一

    種も持っていたらしい)、それを江戸の享保年間に大坂の廻船問屋に取られてし

    まったのが、塩飽諸島の衰退の始まりだったのかも知れません。







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