北海道函館市の建築設計事務所 小山設計所

建築の設計のことやあれこれ

メディチ家礼拝堂(Cappella mediceo) その9

2015-11-22 02:38:33 | 日記
だいたい同じ縮尺にしてみましたので、、、



メディチ家礼拝堂・サン・ロレンツオ教会堂・ラウレンツィアーナ図書館・中庭・回廊と






日本の桂離宮とを





比較してみて下さい。



④外腰掛 ⑨四ツ腰掛(卍亭)、はさすがに無理ですが、それ以外の ⑰中門 から

A.古書院、B.中書院、C.楽器の間、D.新御殿 の書院群、 ⑮笑意軒 ⑫松琴亭 まで

の、この図のオレンジ色の建物は、メディチ家礼拝堂・サン・ロレンツオ教会堂・

ラウレンツィアーナ図書館・中庭・回廊のタテ・ヨコの巾の中に、ぎりぎりですが

「スッポリ」と納まってしまいそうです。(僕の計算ではタテ145m・ヨコ125m)



なんで、こんなに違うんでしょうかね、、、?



さらに、僕の計算では、メディチ家礼拝堂とサン・ロレンツオ教会堂では

タテ85m・ヨコ80mの範囲内に



君主の礼拝堂




ミケランジェロの新聖器室




サン・ロレンツオ教会堂の聖堂の内陣




ブルネレスキの古聖器室




ミケランジェロのロレンツオ図書館前室





などの、およそ200年くらいに渡って作られ続けた、作者(建築家)も時代も違う建物

や諸室が、ガツン、ガツンと、ぶつかり合っているかの様に固まっているのです。

(古聖器室と図書館前室の間なんて、厚い石の壁が2重になっている、、、?)




この、メディチ家礼拝堂(Cappella mediceo)の記事を書くのに、メディチ家礼拝堂と

サン・ロレンツオ教会堂の平面図を何度も繰り返し見ていたら、やはりこのブログの記事

『二笑亭』のプランを思い出してしまいました、、、。






やはり何だかあっちこっちが「ガツン、ガツン」とぶつかり合っているようなプランです。


『二笑亭』を作った赤木城吉さん(仮名)は、『二笑亭』を作る前の1925-1926年

に、当時の民間人としては珍しく「世界一周旅行」をしています。(建築視察旅行も兼ねて

いた? フィレンツェにも寄った可能性大かな、、、?)



赤木城吉さんは帰国後、満を持して?『二笑亭』の建築に着手するのですが、西洋の天才

達が何人も、何百年もかかった事を、自分の脳内の妄想なのか、深川の大工さん達に指示

して、わずか数年で形にしてしまったのでしょうか、、、? (そして、わずか数年で取り

壊されてしまったのです、、、。)




          メディチ家礼拝堂(Cappella mediceo)その10 につづきます。




追記  日本の『建築家』と赤木城吉さんは、どこがどう同じで、どこがどう違うんだろ

    う?ブルネレスキとミケランジェロとも、どこがどう同じで、どこがどう違うん

    でしょうかねぇー、、、? (『建築家』によっても違うんでしょうけど、、。)
         



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