慈光院公式サイト より
せっかく奈良まで来たので、、、。高校の修学旅行もやはり京都・奈良、前年の11月の
終わりに、三島由紀夫が市ヶ谷で自決しているから(担任の中石先生は12月の期末試験
に筑摩の現国の教科書にない「金閣寺」を急遽出題したのだ。)、高校3年は1971年、
昭和46年になるはず、、、。修学旅行中に一日だけ、単独ではダメだがグループによる
自由研修日があって、ニセの計画書を提出して実はバラバラに単独行動をするグループに
加わって(誰かは甲子園球場をどうしても見に行きたかったのかも知れないし、去年の我
が家の坊主のクラスは、大半がUSJ、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン。)、行ったの
が大和小泉の慈光院の書院およびその庭園。
新宿の紀伊国屋で、これまた偶然その頃まだビニールカバーで、新書版サイズの紀伊国屋
新書の一冊だった篠原一男さんの『住宅建築』(「住宅論」ではなくて四文字だった気がす
る。)を何故か高校生のくせに買ってしまって、その中の小さな白黒写真を見て、見たく
なってしまった、、、。
その頃まだ、盆地の南に何十万もの街にしては鄙びた感じでぺッタンコだった京都駅で
皆と別れて朝早く大和小泉駅に一人で向かった。奈良盆地には農業用の溜め池がたくさん
あり、慈光院は富雄川を渡ったところにある溜め池の後ろ、一段高い台地の端にあった。
大和小泉駅からは高校生の足で歩いて十五~ニ十分くらいだったか、、、。
左上が生駒、右が天理でしょうか、、、?
慈光院書院は、その庭園から東に見える、大和盆地の『借景』で有名だったのです。
建築周辺雑記録 maniyosaa.exblog.jp より
(出典『日本建築の形と空間』彰国社 1956年)
朝早く、冷たくて固い畳の上に座ったのを覚えています。もちろん貸切でした、、、。
(この写真は大和盆地を少しでも構図に入れるために、通常の書院や和室や庭を撮影する
場合よりも、ロー・アングルではなくハイ・アングル?のような気がします。)
さて、45年近くも経つと『借景』はどうなっているのでしょうか?慈光院公式サイト
「慈光禅院」http://www1.kcn.ne.jp/~jikoin/ で紹介されています。
昭和30年頃 入江泰吉氏撮影 新潮社刊「入江泰吉の奈良」慈光院公式サイト より
高校生の僕が行ったのは、この写真の16年後くらい、、、。
現在の東の『借景』 慈光院公式サイト より
昔に比べて庭園の生け垣の先の緑がずいぶん増えているのですが、禅院は東の台地の下の
「田んぼ」3000坪に植栽をして、なんとか景観を損なわないように維持しようとしてい
たのでした。(私が地図と写真で数えただけでも、某役所の総合庁舎・ゴルフ打ち放しの
練習場・マンション・カラオケ店に量販店・小学校に幼稚園 で、これは大変、、、。)
本当は、田起こし、水を引いて田んぼに水を張り、田植えから稲の刈り入れ・天日干し
など、通年の農作業風景が見えたらば、どんなにか良いのでしょうけれど、、、。
(なかなか黒澤明監督のように、「あの雲の形が気に入らない」、は難しいです、、、。)
帰りは「転害門」と「戒壇院」に寄って
奈良坂を歩いて大仏瓦の工場に行って、鬼瓦のミニュチュア貰って帰りました。
今でも、こんな高校生いるのかなぁー、、、?
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