むかし奈良の町に、近鉄「油阪駅」という駅があったのですが、今はなくなってしまってい
るのです。
(奈良県立図書情報館)
一番左は建築金物屋さん、明治チョコレートの看板の小さなお店が角にあって、その次、
『油阪駅』とあります。よく見ると小さな駅舎の後ろに、石積みの高架ホームの上に乗客
らしき人も見えますし、架線も張られています。さあ、奈良の町のどこに、こんな駅があ
ったのでしょうか?
goo地図画面中段の左手、青字で「油阪西」とあります。その左、実線の線路が点線になっ
て地下化しています。大きくカーブしている線路はJR関西本線、左下はJR奈良駅です。
この大きくカーブしている線路の東側、逆T字の大きな交差点に、地下化してなくなって
しまった、近畿日本鉄道奈良線の『油阪駅』という駅があったのです。
国道369号線の表示は、登大路(のぼりおおじ、阪奈道路にして大宮通り、最近ダンプ
街道化しているらしい、、、。)。昭和43年の近鉄奈良線の地下化まで、普通の列車
が、道路の真中を路面電車(Tram)のように走っていたんですね。(法規上は長さ800
メートルの「長ぁ~い踏み切り」扱いだったんだとか、、、無茶苦茶、、、。)
(「奈良駅 フォトギャラリー by はてなフォトライフ」より)
向うに見えるのは春日山でしょうか? だとすると、この写真の手前が近鉄油阪駅です。
(当時は交通量が少なかったので、こんな「のんびり」とした工事作業風景? )
(奈良県立図書情報館)
手前左が近鉄油阪駅。上を走っているのが近鉄奈良線。薄い色の木の無い山は若草山?
坂道登ると登大路が見えるはず、、、。(ゆるやかな起伏があるようです、、、。)
近鉄奈良線は地下化され、逆にJR関西本線は高架化されて、上下が入れ替わりました。
私は昭和43年に、専用夜行列車「あけぼの」で、京都・奈良の修学旅行に行っているので
、団体の観光バスでこのあたりを走っていたかも知れないのですが、まったく覚えていな
いのです、、、。
るのです。
(奈良県立図書情報館)
一番左は建築金物屋さん、明治チョコレートの看板の小さなお店が角にあって、その次、
『油阪駅』とあります。よく見ると小さな駅舎の後ろに、石積みの高架ホームの上に乗客
らしき人も見えますし、架線も張られています。さあ、奈良の町のどこに、こんな駅があ
ったのでしょうか?
goo地図画面中段の左手、青字で「油阪西」とあります。その左、実線の線路が点線になっ
て地下化しています。大きくカーブしている線路はJR関西本線、左下はJR奈良駅です。
この大きくカーブしている線路の東側、逆T字の大きな交差点に、地下化してなくなって
しまった、近畿日本鉄道奈良線の『油阪駅』という駅があったのです。
国道369号線の表示は、登大路(のぼりおおじ、阪奈道路にして大宮通り、最近ダンプ
街道化しているらしい、、、。)。昭和43年の近鉄奈良線の地下化まで、普通の列車
が、道路の真中を路面電車(Tram)のように走っていたんですね。(法規上は長さ800
メートルの「長ぁ~い踏み切り」扱いだったんだとか、、、無茶苦茶、、、。)
(「奈良駅 フォトギャラリー by はてなフォトライフ」より)
向うに見えるのは春日山でしょうか? だとすると、この写真の手前が近鉄油阪駅です。
(当時は交通量が少なかったので、こんな「のんびり」とした工事作業風景? )
(奈良県立図書情報館)
手前左が近鉄油阪駅。上を走っているのが近鉄奈良線。薄い色の木の無い山は若草山?
坂道登ると登大路が見えるはず、、、。(ゆるやかな起伏があるようです、、、。)
近鉄奈良線は地下化され、逆にJR関西本線は高架化されて、上下が入れ替わりました。
私は昭和43年に、専用夜行列車「あけぼの」で、京都・奈良の修学旅行に行っているので
、団体の観光バスでこのあたりを走っていたかも知れないのですが、まったく覚えていな
いのです、、、。
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