観光客の人達が大勢、建物にあがっていて、スケールのわかりやすい写真がありました。
たぶん実際に、この建物を見たら、そんなには大きくなくて、かわいらしい建物だと想像
します、、、。
普段は上がれないようです。(日本語で「板の間へは上がらないで下さい。」と書いて
あります。この日は特別拝観か何かの日かな?それにしても、この木の階段、なんだか
登呂遺跡か吉野ヶ里遺跡みたい、、、。)
棟木を受ける束は、どうなっているのかな?と思ったら
「蟇又(かえるまた)」のような大きな板で受けていました。(瓦屋根の荷重が相当でしょ
うから「ガッシリ」したものです、、、。)垂木も曲がっていて、間隔も無理に揃えたり
してません。梁には不思議な「受け」?がついていて(木材が乾燥して「すいて」来た時
の、何かの対策になっているのかな?)、桁は二段になっていて「合成梁」のような効果が
ありそうです、、、。(当時の大工さんにして、凄い知恵、、、。)
プロポーションが美しい、、、。
建物の両端の部分です、、、。
床下と
手摺りと軒先まわりです、、、。
梁の鼻先にも、何か工夫がされているようです、、、。(梁の下の材が、先ほどの内側の
「受け」のような材と繋がっていて、梁間方向の柱と梁を一体化して強度上の補強になっ
ているのかも知れません、、、。)手摺りは最初から、わずかに外側に傾けてあったので
しょうか?
とにかく無駄な材料が、どこにもなさそうな建築です、、、。必要にして十分、構造その
ものが美しい、「稀な建築」と思います、、、。
追記 調べましたら、創建の時の建物は、わずか20年後の壬辰倭乱(日本で言う「文
禄の役」)で、秀吉によって壊されてしまったようです。今の建物は、それから
15年して建て直されたようで、日本人として、韓国・朝鮮の方々には大変申し
訳ありませんでした。
たぶん実際に、この建物を見たら、そんなには大きくなくて、かわいらしい建物だと想像
します、、、。
普段は上がれないようです。(日本語で「板の間へは上がらないで下さい。」と書いて
あります。この日は特別拝観か何かの日かな?それにしても、この木の階段、なんだか
登呂遺跡か吉野ヶ里遺跡みたい、、、。)
棟木を受ける束は、どうなっているのかな?と思ったら
「蟇又(かえるまた)」のような大きな板で受けていました。(瓦屋根の荷重が相当でしょ
うから「ガッシリ」したものです、、、。)垂木も曲がっていて、間隔も無理に揃えたり
してません。梁には不思議な「受け」?がついていて(木材が乾燥して「すいて」来た時
の、何かの対策になっているのかな?)、桁は二段になっていて「合成梁」のような効果が
ありそうです、、、。(当時の大工さんにして、凄い知恵、、、。)
プロポーションが美しい、、、。
建物の両端の部分です、、、。
床下と
手摺りと軒先まわりです、、、。
梁の鼻先にも、何か工夫がされているようです、、、。(梁の下の材が、先ほどの内側の
「受け」のような材と繋がっていて、梁間方向の柱と梁を一体化して強度上の補強になっ
ているのかも知れません、、、。)手摺りは最初から、わずかに外側に傾けてあったので
しょうか?
とにかく無駄な材料が、どこにもなさそうな建築です、、、。必要にして十分、構造その
ものが美しい、「稀な建築」と思います、、、。
追記 調べましたら、創建の時の建物は、わずか20年後の壬辰倭乱(日本で言う「文
禄の役」)で、秀吉によって壊されてしまったようです。今の建物は、それから
15年して建て直されたようで、日本人として、韓国・朝鮮の方々には大変申し
訳ありませんでした。
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