北海道函館市の建築設計事務所 小山設計所

建築の設計のことやあれこれ

地蔵盆と七夕 その3

2015-05-25 02:10:22 | 日記

さて、長々と引用してしまったのですが、この正月とお盆に「白い砂」を撒く「砂道」

の、片方は住宅(生きている人間の、、)で良いとして、では、もう片方は聖所なり神域

(沖縄でいえば御嶽? 拝遥所? 若狭でいえば「ニソの杜」? はたまた各地の「屋敷神」?)

それとも、墓地なり埋葬地(死んだ人間、死者の住居?)なのでしょうか? 

やってくるのは神様なのでしょうか? それともご先祖様(死者)なのでしょうか?

(時間が何年も経つと、ご先祖様も神様になってしまうのかも知れませんが、、、。)

沖縄でいえば、神様は海から来るのでしょうか? 山から来るのでしょうか、、、?


このブログの『産屋』の記事で

 「綾部の場合、集落から対岸に渡るのに、その時だけ「仮の橋」を架けたらしい。」

と書きましたが、「仮の橋」ということは、子供が生まれたら、その橋は壊してしまう訳

で、これは単なる「血の忌み」とか「血の穢れ」なんでしょうか? それとも、生まれた

赤ん坊に、どうかすくすく育って、お願いだからもう元の川の向う岸には戻らないでくれ

、ということなんでしょうか? (アイヌの人は、その家から死者が出たときは、家ごと壊

すか燃やすかしたらしい、、、。死者が現世に戻ってきて、生きている人間に悪さをして

くれるなという事なのか、、、?) 


京都の地蔵盆でも、町はずれの辻や道祖神のお地蔵さんのところで、子供達を集めて祭り

をするのには、「町はずれ」でなければならない、何かの意味があるのでしょうか?

(今は、町も大きくなって、他の町と繋がって「町はずれ」ではなくなってしまっている

のかも知れませんが、、、。)


「砂道」というのは、表現が難しいのですが、「原初の道」「道の原型」「道の発生」と

でも言いようがなさそうですし、住宅とか住居は、それだけでは成立せず、お墓とか墓地

があってはじめて成立するのかもしれません。



よく小学校の卒業式などで、校長先生みたいな人が、

  「君達の前に道があるのではありません、君達の歩いたあとが道になるのです。」

なんて訓示?みたいなこと垂れたりするような事があったと思いますが、あれはウソで

す。(たぶん、、、)最初の道は「死者の道」かもしれないのに、小学校の校長先生が子供

にウソを言ってはいけません、、、。(僕はウソをつくけど、、、。)


どうせ訓示を垂れるのならば、


  「君達は死者のあとに遅れてやってきたのだよ。全ての道は死者に繋がって

   いる。人間、死んでしまったら、それでお終い、ハイそれまでョ。」


とでも言えば良いのに、、、。(でも、それじゃ小学校の卒業式にならない、、、。)



僕の大好きな植木等さん、「ハイそれまでョ」

 

 

 


                        地蔵盆と七夕 その4 につづきます、、、。








 

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