どうやらサン・ロレンツオ教会堂は、ブルネレスキの関与した15世紀の始め頃か、前半
の頃までは
どんなに完成していても、この図の範囲くらいまでで、後でこのブログに出てくる図書館
と中庭は、その後に出来あがって、『君主の礼拝堂』が出来たのは17世紀になってから
のようです。(ですからブルネレスキは、『君主の礼拝堂』の地下礼拝堂の基礎にも、そ
の計画にさえもタッチしていなかったのではないでしょうか? なんてったって150年
もずれていて、ブルネレスキは生きていません、、、。)
これが現在の全体図でしょうか? (向きを他の図とあわせるために回転して縮小かけて
ます。右下が図書館と中庭。)
なのに、『君主の礼拝堂』と『ミケランジェロの新聖器室』の2つだけを併せて、
むりくり『メディチ家礼拝堂』と呼んでいるのかも知れません、、、。
肝心のサン・ロレンツオ教会堂の聖堂の内部です。
身廊から内陣に向かって、右がミケランジェロの新聖器室、左がブルネレスキの古聖器室
中庭です。
真中の赤い丸屋根が『君主の礼拝堂』のクーポラ。
メディチ家礼拝堂(Cappella mediceo) その6 につづきます。
追記 『君主の礼拝堂』ではなくて、『王女の礼拝堂』のような気もしてきた、、、。
の頃までは
どんなに完成していても、この図の範囲くらいまでで、後でこのブログに出てくる図書館
と中庭は、その後に出来あがって、『君主の礼拝堂』が出来たのは17世紀になってから
のようです。(ですからブルネレスキは、『君主の礼拝堂』の地下礼拝堂の基礎にも、そ
の計画にさえもタッチしていなかったのではないでしょうか? なんてったって150年
もずれていて、ブルネレスキは生きていません、、、。)
これが現在の全体図でしょうか? (向きを他の図とあわせるために回転して縮小かけて
ます。右下が図書館と中庭。)
なのに、『君主の礼拝堂』と『ミケランジェロの新聖器室』の2つだけを併せて、
むりくり『メディチ家礼拝堂』と呼んでいるのかも知れません、、、。
肝心のサン・ロレンツオ教会堂の聖堂の内部です。
身廊から内陣に向かって、右がミケランジェロの新聖器室、左がブルネレスキの古聖器室
中庭です。
真中の赤い丸屋根が『君主の礼拝堂』のクーポラ。
メディチ家礼拝堂(Cappella mediceo) その6 につづきます。
追記 『君主の礼拝堂』ではなくて、『王女の礼拝堂』のような気もしてきた、、、。
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