北海道函館市の建築設計事務所 小山設計所

建築の設計のことやあれこれ

同潤会白河清砂通りアパート

2015-08-06 15:59:50 | 日記

東京都江東区、三ッ目通りを挟んで、白河3丁目と4丁目に同潤会白河清砂通りアパート

はありました。










この写真の交差点の、3丁目の角の大きな棟の建物の、戦災を受けた最上階は、当時でも

黒い煤(すす)に焼け焦げたままで、おじいさんとおばあさんばかりが住んでいました。

その最上階の中廊下は、ガスの配管もなかったのか、共同の炊事場では不便だったのか、

皆さん廊下を台所代わりにしていたので、朝になると煮炊きする石油コンロと御飯の炊け

る匂いで、「オエッ」となるような感じでした。


別の棟は、棟と棟の間を通り抜けられるようになっていて、オランダあたりの近代建築の

集合住宅みたいで、なんだかちょっとお洒落でした。






地図で確かめると、大きな棟からは離れた、今の白河4丁目の「白河こどもとしょかん」の

あたりにあった、こじんまりとした棟の、向かって左の階段室の1階に、浅沼稲次郎さん

の未亡人の享子さんが、当時まだ住んでおられました。


浅沼稲次郎さんといっても若い方は、すぐには判らないかも知れませんが、1960年10月12

日に日比谷公会堂の壇上で、17歳の少年に刺殺されてしまった、当時の日本社会党の委員

長だった方です。






僕は、ずーっと「どうして浅沼稲次郎さんの未亡人が、こんなところで一人で住んでいる

んだろう?もしかして、日本社会党の委員長の浅沼稲次郎さんは、奥さんと一緒に、こん

な下町の庶民的なアパートで暮らしていたんだろうか?」と疑問だったのですが、、、



見つけました!







浅沼稲次郎さん、下駄に浴衣姿で犬の散歩しています。後ろは間違いなく同潤会のアパー

トではありませんか、、、!



追記   でも、いくら賃貸から分譲に切り替わっていたかも知れないとはいえ、同潤会

     のアパートで、当時でも、犬を飼っても良かったんでしょうか、、、、?



追記の追記   白河の同潤会アパートでは、お葬式が出ると、今のようにセレモニーホ

        ールなんてない時代でしたから、階段室の下の階と上の階の人が、自分

        たちの住戸を提供して、親族や参列者のための控え室にしたり、料理を

        「手伝いさん」たちと作ったりしていました。なんだか日本の田舎の生活

        が、そのまま東京の下町にあるようでした、、、。稲次郎さんも享子さ

        んも、そのようにして送られたのでしょうか、、、? 



追記の追記の追記 友人が教えてくれました。池田勇人総理(当時)の追悼演説の有名

          なくだりだそうです。(「沼」は浅沼さんのこと。)


          沼は演説百姓よ

          よごれた服にボロカバン

          きょうは本所の公会堂

          あすは京都の辻の寺

          (中略)

          君は、日ごろ清貧に甘んじ、三十年来、東京下町のアパートに

          質素な生活を続けられました。愛犬を連れて近所を散歩され、

          これを日常の楽しみとされたのであります。 

 

 

                                   

 

  


白河4丁目「白河こどもとしょかん」


         




追記の4っ目  2′45″あたり、たしかに浅沼稲次郎さんの家は10号館でした。

        浅沼稲次郎さんは13′50″あたりにチラッと出て来ます。

 
       



 

追記の5っ目        当時のニュース映像を見つけました。浅沼稲次郎さんの住んでいた、同潤会アパート

        の玄関や室内、犬の散歩姿、葬儀の様子も出て来ます。「Youtubeで見る」をクリック

        して下さい。

 

        

 

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