北海道函館市の建築設計事務所 小山設計所

建築の設計のことやあれこれ

伝馬町牢屋敷と市ヶ谷監獄 その11

2018-05-31 10:12:19 | 日記



市ヶ谷監獄署の建物の配置と平面なんですけど、江戸の伝馬町牢屋敷の時代の配置と

平面を、かなり引きずっていると言うか、相当に後ろ髪を引かれている感じなんです。

(『署』が付くくらいですから、やっぱり当時の警視庁、つまり内務省の管轄だったん

でしょうか?)




この地図だけ見ると、主たる入り口は図の右上の、現在の曙橋・旧フジテレビ下から、

抜け弁天・余丁町に上がっていく坂道(安養寺坂)の途中(31、19と数字の読める辺り)

のようにも見えるのですが、、、。






実は他の図に、この31、19と数字の読める辺りに『不浄門』とある図があって、これは

伝馬町牢屋敷の裏門と同じなんですね、、、。(なんだか、どちらも『刑場』のすぐ近く

みたいで、、、判りますよね、、、。) つまり、ここは表門のように見えて、実は

市ヶ谷監獄署の裏門なんだと思います。それでは本当の表門は、この図のどこなんで

しょうか、、、?




下の図の、市ヶ谷監獄署の敷地の南西(左下、自証院の方角)に、丘陵の端が2段になって

いる段丘の、いかにも幅の狭そうな坂道を登ったところに、監獄署の敷地から『出枡形』

(でますがた)のように出っ張っている、何かの『守衛所』(?)のような建物が1軒あるので

すが、どうやら表門(?)はこちらのようなのです。(小日向の切支丹屋敷を、そのまま大き

くしたような感じ、、、?)






下の谷筋から段丘に沿って登って来ると(『その10』の記事の最初の明治のgoo地図の、

富久町1番地と市谷谷町97番地の間の、民家と民家に挟まれた細い路地みたいな、台地

に登っていく坂道を入っていくみたいなんですけど、判りますか、、?)最後に『守衛所』

(?)のところをグルっとまわって入り口、逆に台地の上の安養寺坂の途中からは、畑の畦

道みたいな道を、やはりグルっと遠回りして入り口に辿り着いたんでしょうか、、、?




伝馬町牢屋敷の図面です。黒くて太い線は『練り塀』と思います。右上が刑場で、上の

真ん中が裏門(不浄門)で、東牢のほうからも埋門から繋がっています。(牢名主は、鼾

「いびき」が大きすぎて迷惑な囚人は、私的な刑「リンチ?」のようにして、石出帯刀に

も内緒で牢外に『出してしまう』ことが出来たようなんです、、、。)






図の右上、刑場に通じる両側が、おそらく塀に挟まれた幅の狭い「斜めの通路」がありま

す。立会人とか見届け人は帰って来れますが、ご本人にとっては、2度と引き返して帰っ

て来れない『一方通行路』です。でも、この図から判るのは、『刑場』というのはどう見

ても『娑婆』なんですね、、、。まるで『娑婆』に連れ戻してから執行しないと刑になら

ないとでも言わんばかりです、、、。無理やり「斜めの通路」を造っています、、、。




市ヶ谷監獄署の右半分を拡大してみました。
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一番左上、『市』の文字の上に、ほぼ正方形の『刑場』らしき場所があるのですが、裏門

の入ったところから、やはり『斜めの通路』があります。どうやらこちらは、ご本人に

とっても『一方通行路』ではないようです、、、。(『・・・・・』は『練り塀』ではな

くて、何かの『柵』のようなものでしょうか、、、?)




この『斜めの通路』なんですけど、なんだか、このブログの記事『Plaça Sant Felip

Neri (サン・フェリペ・ネリ広場)』の『S字の細い路地』Carrer del Montjuic del

Bisbe (司教のモンジュイックへの道?)を、想い出してしまいました、、、。

















                  伝馬町牢屋敷と市ヶ谷監獄 その12 につづく










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