二
人々のうちには、この物語にあるような異常な出来事は現実の子供の世界にはあり
得ないと思っておられる向きがあるかも知れない。だからそうした人々の疑惑を一掃
するために、私はここにシュテーケルの『若き母への手紙』の中から、ある実際に起
こった出来事を彼が述べている箇所を引用しておきたいと思う。
「満五歳になるお嬢さんのあるところへ、新しく赤ちゃんが生まれたので、今まで我
儘一杯に育てられたお嬢さんは眼に見えて無視されるようになったのです。するとあ
る日、このお嬢さんは母親に向かってこう言ったのです。『母ちゃん、あたいもう生
きていたくないわ。天国へ行ってしまいたいの。あたいなんかどうなったっていいん
でしょう。だって母ちゃんにはもう赤ちゃんがあるんですもの。』この小さなお嬢さ
んは赤ちゃんが生まれてから三箇月後に水に飛び込んで死のうとしたのです。その動
機はと言えば、この幼い競争者に対する嫉妬だったのです。」
子供が嫉妬から自殺する!かかる悲劇は人が想像する以上に多い事を先ず知らねば
ならぬが、ではそれはどういう風に説明されたらよいのであろうか。---子供たちが
時として親の愛をめぐっていかに烈しい文字通り命がけの競争関係に這入り込むかは
、不幸にして多くの「愛ある」家庭においてさえ十分に知られていない。子供は自己主
義者であり、いつも自分が世界の中心であり主人公であろうとしている。子供は人を
愛する前に、ただひたすら人から愛されんことを求めている。それもただ愛される
だけでは十分ではなく、ほかの誰よりも以上に独占的に愛せられんことを望んでいる
のだ。だからもし今まで人の注意と愛情とを一身に集めていたような子供が突然自分
が閑却され無視されていると思い初めると、その子供は恐ろしい屈辱とひけめとを感
じ、その競争者に対して強い憎悪と嫉妬との心を抱くに至るのである。今まで行儀の
よかった、おとなしい子供が、新しいきょうだいが生まれてくると急にむずがり屋に
なり、乱暴と反抗とによって親にさんざん厄介をかけるようになるのも、所詮「自分
のことを構ってくれない、自分をもう可愛がってくれない、自分は弱者の地位に蹴落
とされた」という僻みのさせる仕業に外ならない。この差別感が昂じると、子供はそ
の競争者と親とをどっちも憎悪し、進んで彼らに殺意を抱くと共に自分を無きものに
して彼らに復讐しようと決意するに至るのである。親やきょうだいの死を願い、想像
の中で親殺しやきょうだい殺しをして鬱憤を晴らしている子供というものは意外に多
いものだ。親やきょうだいが本当に死んだとき、それが自分の所為だと思ってひそか
に自責の念に駆られている子供も往々ある。子供の世界における死の役割は、大人が
考えているよりも遙かに強大で切実で真剣なものである。遊戯における死の真似事と
実際における死の行動とは紙一重である場合が多いのだ。
かくて、嫉妬からの子供の自殺は、子供が大勢いるような、特に「愛ある」家庭にお
ける「秘蔵っ子」の存在とその地位保持者の権威失墜とから誘発される子供の悲劇の場
合に外ならぬことがわかろう。それは一口に傷つけられた自我の反抗の最後の絶望的
なあらわれとでも言えようか。
「喪われた悲哀」と「愛されない能力」 その6 につづきます。
追記 「例の庭」の手入れをする林達夫さんです。
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