北海道函館市の建築設計事務所 小山設計所

建築の設計のことやあれこれ

能舞台

2014-12-24 13:20:39 | 日記
いろいろな図面の説明で「舞台」と書きましたが、形状からして、これはどう見ても

「能舞台」のように思われます。(「能楽堂」と呼ばれるようになったのは、明治以降の

ようです。)ですが、「舞殿」とか神社の境内の「神楽殿」も「舞台」でしょうから、

「能舞台」だけが「舞台」ではありません。江戸時代になると、江島さんも通った、芝居

小屋が、江戸の町のあちこちにあったでしょうし、寄席の数も半端ではありません。

(『沖縄の「神の道」つづき』の記事の図の、「カミの道」の脇に「舞殿跡」とありますし

沖縄の「神アシャゲ」が、何のための建物で、その中で誰が何をしていたかは、今一つ

良く判りません、、、。)


沖縄の「神アシャゲ」です。




池浩三さん『祭儀の空間―その民俗現象の諸相と原型 』(相模書房1979年)の図版です。

























下の図の「神アシャゲ」は凄いですねぇー、まるで「中門」のようです、、、。






京都の西本願寺北能舞台です。




現存する最古の能舞台と言われ、1581年頃のようです。西本願寺白書院から観劇?出来るよ

うになっているのですが、私には、「お坊さん」と「猿楽」の組み合わせは良く判りませ

ん。(当時のお坊さん達は、だいぶ俗っぽくなっていたんでしょうか、、、?)北能舞台は、

白書院や黒書院の建物よりは古いようです。(50~75年くらい古い?) 昔の木造建築はかな

り頻繁に「生きほごし」をして、移築や改築を繰り返した例もあるでしょうから、(特に

能舞台は見るからに「生きほごし」が、し易そうです、、、。)北能舞台の方が古くても

不思議ではなさそうです。


(「生きほごし」・・・木造建築で移築なり再利用を前提に、「生きたまま、ほごす」の

意か? 「ほごす」は「ほぐす」で、解体する事? 壊して解体するのではなく、「ほぞ」や

「仕口(しぐち)」などを、そのまま残して解体する事か? 昔の人は機械も無くて木材を

「引き割って」製材するのも、その労力が大変だったでしょうから、ある程度は頻繁に行

われていたのでは?)



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