北海道函館市の建築設計事務所 小山設計所

建築の設計のことやあれこれ

『古道』 その2

2015-06-11 15:22:06 | 日記
 
  少年の日の白昼夢

 
  男たちは夕方になると木橇(きぞり)を曳いて、美森山の上の赤岳の黒生(くろふ)

  から帰ってきた。小川で躯をふくと、それぞれ別の方向の林の中に消えていった。

  いつのまにか、女たちも消える。後には爺と少年が二人、少年が飯をたき、汁を

  煮て、爺は火をたいている。妙に物音もなく白々しい一瞬である。

   みんなどこへ行ってしまったのだろう。

  -トヤやけんー 爺は私に教えてくれた。こどもを作っているのである。栗の花

  は男の精、クルミの花は女の精の匂いがする。女たちは栗の花の花粉の舞う草原

  で力いっぱいからみあい、噛んだりわめいたりして、受精する。トヤは、それぞ

  れの夫婦の領分が、序列できまってる。クリの花のいいトヤが親方である。女は

  ホウの木の、掌より大きい密毛の生えた稚葉(わかば)をよく揉んで、事後にはさ

  み込み、子種が流れてしまわないようにする。夕方の、ブユが引っこみ、藪蚊が

  出てくる合間の黄昏の一時間がその時間だった。

  -かえればさ、三月やけん、ちょうど、ヤヤが生まれるにええわー

  -どこへ帰るんですー

  -ヒゴやー

  私には肥後という土地は、まるで想像もつかない遠い語感だった。-この人たち

  は山窩(さんか)ですかーと聞いたが、爺は何もいわなかった。

  あれは、私の少年時代の白昼夢だったろうか。

  いやいや、そんなはずはない。私は、たしか、ハルとかユキとかコウとかいった

  と思う若い女房たちの、ボロボロに裾の切れた赤いメリンスの短い腰巻の間から、

  つんと出た脚を、いまもおぼえている。新ジャガの皮のような粉をふいた柔かい

  皮膚の顔だってそうだ。もし、いま目の前にでてきたら指摘することもできると

  思う。名前と顔がいっしょにならないだけである。たとえば、ハルという女、こ

  れが一番さきトヤで逢った女だったと思う。私を見ると、きっと、鋭い糸切歯を

  出し、片エクボをぐっと凹ませて笑ったあの顔、それはいまもそこにある。

  肥後から出稼ぎにきた山人夫の集団とは、それきりだった。

  しかし、それから、いままで、私は集団と寝屋と生殖の場所がちがっていたこと

  、そこをつなぐ特定のみちがあったこと、性にはげしい季節があって、冬閑期が

  出産期になっていたこと、などなど・・・を信じている。

  しかし、肥後の山人夫と、サンカとが、おなじだったかどうかはわからない。た

  とえば、三角寛さんの『サンカの社会』によれば、彼等の性には、まったく季節

  感はなく、ほとんどエブリナイトだといっている。



                この引用、『古道』 その3 につづきます、、、。




追記  三角寛さんは、朝日新聞記者をしていて、「山窩小説」、なるもので当時(昭和の

    始め?) 流行作家となり、後に池袋文芸座の経営をした人なのですが、僕には、

    一般大衆の間で、「山窩小説」のような本がベストセラーになった、昭和の始め

    という時代と日本人の方が不思議です、、、。(敗戦後は「ダッコちゃん」が流行

    ったりするし、、、。)


    「ダッコちゃん」 (昭和35年頃)

    


    「ダッコちゃん」を抱く、当時の日本人の子供たち

    


    何故か大人までつけていたのです、、、

        
    



  

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