その人の、事務所兼アトリエは、東横線祐天寺駅の北口商店街を、中世鎌倉街道の方に
向かって行って、左側の古いマンションの1階の奥にあった。(近くには、吉村先生の
「森井邸」があった。神田紀代子さんの担当。)真壁智治さんから(当時、真壁さんは何故
か銀色か金色でスプレーされた?自家製作業ブーツ?を履いていました。)、「新宿をテー
マにした展覧会を多木さんと言う方達とやるけど、手伝いしてみない?」と誘われて、わ
けも判らず、お手伝いした、、。
その当時の超有名建築家の住宅の写真を撮っている方で、デザインの評論もしているらし
い、、、、くらいしか知らなくて、部屋に入ると確かに、酢酸かなにかの、写真の暗室の
のような匂いがしていた。作業も終盤になって、展覧会のためのシルクスクリーンを印刷
することになって、印刷と言っても、巨大な謄写版のようなもの(なぜか多木さんは持っ
ていたのです、、、)で、布のスクリーンの上のインクを、これまた巨大な「へら」の
ようなもので、二人がかりで、端から端まで「こすく」のです。これを何故か、多木さん
と自分の二人でやる事になってしまって、自分では、思いっきり力を入れて「こすいて
る」つもりなのに、多木さんの側は綺麗に印刷されているのに、自分の側は何回やっても
かすれてしまう、、、。要は、力が足りないだけの話。情けない、、、。でも、多木さん
は、怒ったりしない、、、。「もう一回、やってみようか」何回もやり直す、、、。何枚
も高いシートを無駄にさせてしまった、、、。
それから、多木さんの『ことばのない思考』(事物・空間・映像についての覚え書)を買っ
て読んでみたが、頭の悪い自分には、その記号論的な難しすぎる文章は、さっぱり解から
ない、、、、。力も無くて、頭も悪い、、、。どうしようもない、、、、。
多木さんって、多木浩二さんです。後年、評論の分野を天皇論にまで拡げられて、評論家
と言うよりも思想家のような方でした。(東大の美学って、やっぱり凄いんだ、、。そう
言えば、何となく、その感じは、若い頃の林達夫さんに似ていなくもないかも、、、。)
向かって行って、左側の古いマンションの1階の奥にあった。(近くには、吉村先生の
「森井邸」があった。神田紀代子さんの担当。)真壁智治さんから(当時、真壁さんは何故
か銀色か金色でスプレーされた?自家製作業ブーツ?を履いていました。)、「新宿をテー
マにした展覧会を多木さんと言う方達とやるけど、手伝いしてみない?」と誘われて、わ
けも判らず、お手伝いした、、。
その当時の超有名建築家の住宅の写真を撮っている方で、デザインの評論もしているらし
い、、、、くらいしか知らなくて、部屋に入ると確かに、酢酸かなにかの、写真の暗室の
のような匂いがしていた。作業も終盤になって、展覧会のためのシルクスクリーンを印刷
することになって、印刷と言っても、巨大な謄写版のようなもの(なぜか多木さんは持っ
ていたのです、、、)で、布のスクリーンの上のインクを、これまた巨大な「へら」の
ようなもので、二人がかりで、端から端まで「こすく」のです。これを何故か、多木さん
と自分の二人でやる事になってしまって、自分では、思いっきり力を入れて「こすいて
る」つもりなのに、多木さんの側は綺麗に印刷されているのに、自分の側は何回やっても
かすれてしまう、、、。要は、力が足りないだけの話。情けない、、、。でも、多木さん
は、怒ったりしない、、、。「もう一回、やってみようか」何回もやり直す、、、。何枚
も高いシートを無駄にさせてしまった、、、。
それから、多木さんの『ことばのない思考』(事物・空間・映像についての覚え書)を買っ
て読んでみたが、頭の悪い自分には、その記号論的な難しすぎる文章は、さっぱり解から
ない、、、、。力も無くて、頭も悪い、、、。どうしようもない、、、、。
多木さんって、多木浩二さんです。後年、評論の分野を天皇論にまで拡げられて、評論家
と言うよりも思想家のような方でした。(東大の美学って、やっぱり凄いんだ、、。そう
言えば、何となく、その感じは、若い頃の林達夫さんに似ていなくもないかも、、、。)
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