北海道函館市の建築設計事務所 小山設計所

建築の設計のことやあれこれ

叔父さん その4

2015-08-28 10:53:37 | 日記
ここのところ「叔父さん」の事を書いていましたら、わたしの伯父が、昨日、亡くなったと

さっき真中の兄から電話がありました、、、。私の母の兄で、このブログの『祖父』の中

で、「高知県の二淀川町と言うところの現場である。私の母の兄はそこで生まれている。」

と書いた伯父さんです。ずーっと青森県弘前市に住んでいたのですが、去年くらいに兵庫

県西宮市の次女の、私の従妹のところに移っていました、、、。(弘前は雪が多いし寒い

ですから、、、。)

このブログの『高山さん』の津軽半島の高山稲荷神社の事を僕に教えてくれて、『最後の

「イタコ」さんと認定されていた女性は、随分前になくなっている。』と、僕に教えてく

れたのも、この弘前の伯父さんでした、、、。

伯父さんは精神科医で、「津軽の患者さんは、自分たち精神科医が直接に治療するよりも

イタコさん達に治療してもらって、自分たち精神科医は、そのイタコさん達を治療した方

が具合が良い。」?などと、津軽の患者さん達や、イタコさん達や、全国の精神科医の方達

が聞いたら、総スカンを喰いそうな事を言っていました、、、。

この伯父さんと僕の間に、「冗談関係」のような「伯父甥関係」があったかと言うと、残念な

がら、僕は弘前には何度も行って会った訳ではなく、「もう少し身近にいてくれたらばな

ぁー、、、」と言う感じです、、、。

それでも、一度、弘前大学医学部の門の向いの、フランス料理店でご馳走になった時に、

ミシェル・フーコーの「ピエール・リヴィエールの犯罪」の話をしました。伯父さんにとっ

ては、「あー、あれね、、、」ぐらいの感じでしたけど、、、。



でも、自分の伯父さんだから、そんな話も気安く出来たんだなと、今は思います、、、。







当時、何故か早稲田の古本街では、あちこちの古本屋に、この本の赤い背表紙がありまし

て、おそらく早稲田のどなたかの教授が授業で使って、学生さん達が大量に早稲田の古本

街で処分したんでしょうね、、、。訳者のお一人は岸田秀さん。


この手記の出だしの


Moi, Pierre Rivière, ayant égorgé ma mère, ma sœur et mon frère...

(私、ピエール・リヴィエールは母と妹と弟を殺害した、、、)

が、なんとも、物悲しい感じなんですよねぇー、、、、。


伯父さんとは、そのあと、H市の母子殺害事件の話をしました、、、。


でも、フランス料理を食べながら、そういう話をする伯父と甥って、やっぱり何か変です

よねぇー、、、。







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