その41は細谷而楽(ほそや じらく) とびの像です。
前橋出身の彫刻家・乾漆工芸家、明治11年(1878年)栄町(当時は一毛町)に生まれ、高村光雲に彫刻を学ぶ。
法隆寺や唐招提寺、新薬師寺などの仏像をはじめ、数多くの古美術品の研究や修理にあたりました。
特に新薬師寺の塑造十二神将のうち、欠けていた波夷羅大将を復元したことは、特筆されます。
前橋東照宮の裏手に立つ彰忠碑の塔上で翼を広げる「とび」(明治39年作)は而楽の作品として有名です。
塔身が銅製だったため戦争で供出されるとき、「とび」だけは供出を免れ、戦後昭和37年に再建されました。
昭和15年(1940年)没、三河町正幸寺に眠る。
1、前橋東照宮裏の彰忠碑=護国の花と散った英霊の偉業を永久に伝えるため建てた記念碑のことです。
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2、細谷而楽の作品、左は聖徳太子座像(県庁保存)、右は釈尊坐像(正幸寺保存)、ご住職から特別に撮影を許可されました。
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3、左は細谷而楽の生家跡、右は正幸寺にある墓所
前橋出身の彫刻家・乾漆工芸家、明治11年(1878年)栄町(当時は一毛町)に生まれ、高村光雲に彫刻を学ぶ。
法隆寺や唐招提寺、新薬師寺などの仏像をはじめ、数多くの古美術品の研究や修理にあたりました。
特に新薬師寺の塑造十二神将のうち、欠けていた波夷羅大将を復元したことは、特筆されます。
前橋東照宮の裏手に立つ彰忠碑の塔上で翼を広げる「とび」(明治39年作)は而楽の作品として有名です。
塔身が銅製だったため戦争で供出されるとき、「とび」だけは供出を免れ、戦後昭和37年に再建されました。
昭和15年(1940年)没、三河町正幸寺に眠る。
1、前橋東照宮裏の彰忠碑=護国の花と散った英霊の偉業を永久に伝えるため建てた記念碑のことです。
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2、細谷而楽の作品、左は聖徳太子座像(県庁保存)、右は釈尊坐像(正幸寺保存)、ご住職から特別に撮影を許可されました。
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3、左は細谷而楽の生家跡、右は正幸寺にある墓所
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