Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

P・オースター、バタイユ、ホフマン、エレンブルク

2008-06-02 23:26:29 | 文学
今日、古書店でP・オースターの『幽霊たち』とバタイユの『マダム・エドワルダ』とホフマンの『ホフマン物語』とエレンブルクの『トラストDE』を購入した。

特に『トラストDE』はかなり前からずっと欲しかった本だったので、買えてうれしい。

いずれの本もまだ読んでいないのでレビューは書けないのだが、ぱらっとめくってみた感じ、『ホフマン物語』に収められている話は岩波文庫で大方読んでいることに気付いた。これなら買う必要はなかった気がする…早まったか。

あとの二冊は両方とも非常に有名な本なのだが、まだ読んだことがなかった。買う機会も何度かあったのだが、やや値段が高かったので躊躇していた。今日は二つとも手ごろな値段で、しかも1万円持っていたので即購入。

それにしても、自分の専門(ロシア文学、不条理文学、それらの研究書)に合った本を買わなくてはいけないはずなのに、完全に趣味で本を選んでいる。いいのかなあ。でも、久しぶりに楽しいひと時を古本屋で過ごすことができたのでした。

アンデルセンの影

2008-06-02 01:05:47 | 文学
白水Uブックスから出ている『ダブル/ダブル』という分身小説のアンソロジーの中に、アンデルセンの「影」という作品が入っている。「分身小説のアンソロジー」と書いたことから了解されるように、アンデルセンの作品も分身を扱ったものだ。アンデルセンといえば、最近では『雪の女王』が最もよく知られるようになっているが、やはり童話作家として有名だ。しかし、この「影」という小説は、やや怪奇じみた不幸な話で、子ども向きであるとは決して言えない。

若い学者の元から影が離れ、一人立ちし、やがて主(あるじ)を従えようとするという、よく考えれば恐ろしい話だ。分身のテーマによく見られる、分身とオリジナルの境界が曖昧になり、オリジナルが分身によって抹消されてしまうという枠組みをここでもなぞっている。影がいなくなってしまうという最初のモチーフはシャミッソーの『影をなくした男』を連想させるが、この小説がメルヘン的な要素を漂わせているのに対して、アンデルセンの小説は暗く不気味な雰囲気がある。

それにしても、分身がオリジナル(自分)の地位を乗っ取り、持っているものを剥奪してしまうと考えることは、誰にとっても恐怖だろう。根源的な恐怖と言えると思う。「影」では存在が入れ替わる、ということはないのだが、主と影という主従関係が逆転してしまう。いずれにしろ、自分のアイデンティティが喪失することには変わりない。「自分とは何か」という問いに対する答えは、他人との距離によって測られるものだが、その他人との距離が不安定になってしまうとき、「自分とは何か」という問いもそれに対する答えも混乱してしまう。分身のテーマは、結局のところ、「自分とは何か」という問いを滅茶苦茶にしてしまう効果を持っているのだろう。「他人」の存在が自明でなくなったとき、「自分」の存在も混沌としてきてしまう。「他人」と「自分」の関係は、「分身」のあぶり出す一つのテーマであるだろう。