20日、藤原竜也主演のチェーホフ劇『かもめ』を観に行った。
座席は特等席で、かなりよい。満席で、かなりの賑わい。特筆すべきは女性客の多さ。これってやっぱり藤原竜也のファンなんだろうな。分かる。おれも藤原竜也好きだから。
さて、幕が開く(と書いてみるものの、実は既に幕は開いている)。しばらくしてトレープレフ役の藤原竜也が登場。異様にテンションが高い。トレープレフってもう少し神経質そうな人じゃなかったっけ?と思いながら、でもそういう演出意図なんだから、何か理由があるんだろうと当たりをつけて見る。ニーナが登場してからはほとんどコメディで(もっとも、この戯曲はチェーホフに「コメディ」と名付けられているが)、トレープレフがニーナにのぼせ上がっているのがありありと分かりすぎるほど分かる。ちょっと過剰じゃないかな、と思いつつ見る。
劇中劇が始まり、アルカージナが茶々を入れてトレープレフが激昂。そのとき、藤原竜也は舞台から降りていて、おれの座っているすぐそばまでやってきて、台詞を言う。かなり怒っていて、お腹の底から声を出している。こういう演技うまいよな、と思う。
さて、第二幕ではトレープレフがかなり神経質になっているのが分かる。第一幕の後半もそうだったが。ここで、ああ、最初に異様にテンションが高かったのも、神経症の一種だからか、と納得。
トリゴーリンの言う強迫観念はおれにもよく分かる。何かあるたび毎に、これは何か小説で使えるんじゃないかと思ってしまう、というのは。別に小説書いてるわけじゃないけど。
第三幕は、喜劇色がかなり濃い。特にアルカージナ(母)とトレープレフ(子)の掛け合いが。トレープレフってマザコンかあ、と思わされる。それと、アルカージナとトリゴーリンの掛け合いでは、アルカージナの発言が、戯曲を読む限りでは当り障りのないごく普通の台詞なのに、ある一定の演技を加えることによって、笑いを誘うということを実感させられた。チェーホフは「喜劇」と書いているのだから、こういう演出があってもいいはずだ。もっとも、チェーホフの言う「喜劇」ってのは、人生っていうのは悲劇的なことも含めて色々ありますけど遠くから見れば喜劇なんですよ、って意味だとおれは理解してる。が、劇の中にも笑いが含まれることがあるのも確か。以前、『ワーニャ伯父さん』で爆笑が起きたことがあった。
第四幕。の前に20分の休憩。外に出てみたら、女子トイレの前が長蛇の列。もはや先頭が見えない。
さて、最終幕だが、一転して舞台が暗い。途中、ニーナがやってくるが、これまでとは打って変わって黒い服を着ている。マーシャのように。『三人姉妹』で明らかだが、チェーホフは色というものにかなり気を配っていたようだ。戯曲にニーナの着ている服の色の指定はないようだが、演出としては間違ってないだろう。
ところで、ニーナ役の美波だが、台詞にややたどたどしいところがあるように感じられた。初日だから?また、この第四幕で、トレープレフと誰かとの対話がちょっと止まってしまったところがあった。もともとの「間」だったのかもしれないが、おれには俳優が台詞を忘れ、そこへ藤原竜也が助け舟を出していたように思われた。もっとも、本当のところはちょっと分からないが。
最後のピストルの音にドキリとさせられた。瞬間的に照明が明るくなる。普通、「トレープレフ君がピストル自殺したんです」という台詞で暗転するのだが、今回はそれからしばらく間があり、トリゴーリンがアルカージナの席まで歩いていくところまで舞台は明るい。どういう意図があったか?すぐに暗くなるイメージがあったので、ここは違和感があった。
藤原竜也は、初めは颯爽と歩いているのだが、次第に腰を引きつらせたように歩くようになり、神経質な感じがよく現れていたように感じた。他の出演者も皆、芝居達者な人ばかりで、なかなかおもしろかった。
さて、その藤原竜也だが、来週のとんねるずの「食わず嫌い」に出るそうだ。彼がバラエティに出ているのは見たことがないので、やっぱり珍しいんだろう。テレビにも滅多に出ないからな。それにしても、藤原竜也がバラエティか。見てみたい気もするけど、彼にはこういうのに出て欲しくない、という気もする。複雑。
座席は特等席で、かなりよい。満席で、かなりの賑わい。特筆すべきは女性客の多さ。これってやっぱり藤原竜也のファンなんだろうな。分かる。おれも藤原竜也好きだから。
さて、幕が開く(と書いてみるものの、実は既に幕は開いている)。しばらくしてトレープレフ役の藤原竜也が登場。異様にテンションが高い。トレープレフってもう少し神経質そうな人じゃなかったっけ?と思いながら、でもそういう演出意図なんだから、何か理由があるんだろうと当たりをつけて見る。ニーナが登場してからはほとんどコメディで(もっとも、この戯曲はチェーホフに「コメディ」と名付けられているが)、トレープレフがニーナにのぼせ上がっているのがありありと分かりすぎるほど分かる。ちょっと過剰じゃないかな、と思いつつ見る。
劇中劇が始まり、アルカージナが茶々を入れてトレープレフが激昂。そのとき、藤原竜也は舞台から降りていて、おれの座っているすぐそばまでやってきて、台詞を言う。かなり怒っていて、お腹の底から声を出している。こういう演技うまいよな、と思う。
さて、第二幕ではトレープレフがかなり神経質になっているのが分かる。第一幕の後半もそうだったが。ここで、ああ、最初に異様にテンションが高かったのも、神経症の一種だからか、と納得。
トリゴーリンの言う強迫観念はおれにもよく分かる。何かあるたび毎に、これは何か小説で使えるんじゃないかと思ってしまう、というのは。別に小説書いてるわけじゃないけど。
第三幕は、喜劇色がかなり濃い。特にアルカージナ(母)とトレープレフ(子)の掛け合いが。トレープレフってマザコンかあ、と思わされる。それと、アルカージナとトリゴーリンの掛け合いでは、アルカージナの発言が、戯曲を読む限りでは当り障りのないごく普通の台詞なのに、ある一定の演技を加えることによって、笑いを誘うということを実感させられた。チェーホフは「喜劇」と書いているのだから、こういう演出があってもいいはずだ。もっとも、チェーホフの言う「喜劇」ってのは、人生っていうのは悲劇的なことも含めて色々ありますけど遠くから見れば喜劇なんですよ、って意味だとおれは理解してる。が、劇の中にも笑いが含まれることがあるのも確か。以前、『ワーニャ伯父さん』で爆笑が起きたことがあった。
第四幕。の前に20分の休憩。外に出てみたら、女子トイレの前が長蛇の列。もはや先頭が見えない。
さて、最終幕だが、一転して舞台が暗い。途中、ニーナがやってくるが、これまでとは打って変わって黒い服を着ている。マーシャのように。『三人姉妹』で明らかだが、チェーホフは色というものにかなり気を配っていたようだ。戯曲にニーナの着ている服の色の指定はないようだが、演出としては間違ってないだろう。
ところで、ニーナ役の美波だが、台詞にややたどたどしいところがあるように感じられた。初日だから?また、この第四幕で、トレープレフと誰かとの対話がちょっと止まってしまったところがあった。もともとの「間」だったのかもしれないが、おれには俳優が台詞を忘れ、そこへ藤原竜也が助け舟を出していたように思われた。もっとも、本当のところはちょっと分からないが。
最後のピストルの音にドキリとさせられた。瞬間的に照明が明るくなる。普通、「トレープレフ君がピストル自殺したんです」という台詞で暗転するのだが、今回はそれからしばらく間があり、トリゴーリンがアルカージナの席まで歩いていくところまで舞台は明るい。どういう意図があったか?すぐに暗くなるイメージがあったので、ここは違和感があった。
藤原竜也は、初めは颯爽と歩いているのだが、次第に腰を引きつらせたように歩くようになり、神経質な感じがよく現れていたように感じた。他の出演者も皆、芝居達者な人ばかりで、なかなかおもしろかった。
さて、その藤原竜也だが、来週のとんねるずの「食わず嫌い」に出るそうだ。彼がバラエティに出ているのは見たことがないので、やっぱり珍しいんだろう。テレビにも滅多に出ないからな。それにしても、藤原竜也がバラエティか。見てみたい気もするけど、彼にはこういうのに出て欲しくない、という気もする。複雑。