連続して投稿してしまいます。先のエントリで、病気の症状がほとんどない、と書きましたが、ぼくは自分の病気の症状というものを実は知りません。今の時代、病名を宣告されたらそれについてネットで調べるのが常識かもしれませんが、ぼくにはそんなことへの興味関心が皆無だった。ネットの情報を侮っていた所為かもしれませんが、自分で調べる意欲はさらさらありませんでした。
しかし、「感情」というものが少し気になって、色々とネットで検索していたら、出てくる出てくる、情報が山のようにある。その中に、「アレキシサイミア」「アレキシソミア」という言葉を見つけました。似たものとしては、「感情鈍磨」というものもありました。「アレキシサイミア」は、感情を表現できない、内省できない、感情をコントロールできない、などの症状が典型であるようです(たぶん)。これは身体感覚の欠如とも深く関連しているようです。
優しい人とか、怖い人とか、そういう人間の性質は、他者からは絶対に分からないのではないか、と思います。例えば、ぼくは基本的に知人や友人には優しく接しますが、その主な理由は自分が臆病だからです。つまり、嫌われたくないとか、そういう内向きな理由から、優しく接するのです。必ずしも相手を思いやった末の優しさではない。しかし、結果的にはこの態度は「優しい」態度でしょう。逆に、本当はとても相手のことを思いやっているのに、恥ずかしさからそれを態度で示すことができないという事例も多々あるでしょう。これは親しい間柄、恋人関係や家族関係などによく見られると思います。結果的にこの態度は「恐ろしい」「無礼な」態度となるでしょう。・・・そんなことをぼんやりと考えて、ネットで検索してみたら、「アレキシサイミア」という言葉に出会ったのでした。
いま、こういった事柄について理解を深めたいという欲求が初めて高まっています。でも、それは恐らく寝て起きたら跡形もなく消え去っている感情でしょう。ぼくには喜怒哀楽はある。でも「興味」が失われている。それが非常に大切なことであっても、それを知りたいという関心がない。これはなんだ?「アレキシサイミア」ではない。じゃあこれはなんだ?ビルの屋上から眼下を見降ろしたときのように、自分の中の欠落にぞっとする。
しかし、「感情」というものが少し気になって、色々とネットで検索していたら、出てくる出てくる、情報が山のようにある。その中に、「アレキシサイミア」「アレキシソミア」という言葉を見つけました。似たものとしては、「感情鈍磨」というものもありました。「アレキシサイミア」は、感情を表現できない、内省できない、感情をコントロールできない、などの症状が典型であるようです(たぶん)。これは身体感覚の欠如とも深く関連しているようです。
優しい人とか、怖い人とか、そういう人間の性質は、他者からは絶対に分からないのではないか、と思います。例えば、ぼくは基本的に知人や友人には優しく接しますが、その主な理由は自分が臆病だからです。つまり、嫌われたくないとか、そういう内向きな理由から、優しく接するのです。必ずしも相手を思いやった末の優しさではない。しかし、結果的にはこの態度は「優しい」態度でしょう。逆に、本当はとても相手のことを思いやっているのに、恥ずかしさからそれを態度で示すことができないという事例も多々あるでしょう。これは親しい間柄、恋人関係や家族関係などによく見られると思います。結果的にこの態度は「恐ろしい」「無礼な」態度となるでしょう。・・・そんなことをぼんやりと考えて、ネットで検索してみたら、「アレキシサイミア」という言葉に出会ったのでした。
いま、こういった事柄について理解を深めたいという欲求が初めて高まっています。でも、それは恐らく寝て起きたら跡形もなく消え去っている感情でしょう。ぼくには喜怒哀楽はある。でも「興味」が失われている。それが非常に大切なことであっても、それを知りたいという関心がない。これはなんだ?「アレキシサイミア」ではない。じゃあこれはなんだ?ビルの屋上から眼下を見降ろしたときのように、自分の中の欠落にぞっとする。