Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

この感情が失われる前に

2013-01-29 05:14:08 | Weblog
連続して投稿してしまいます。先のエントリで、病気の症状がほとんどない、と書きましたが、ぼくは自分の病気の症状というものを実は知りません。今の時代、病名を宣告されたらそれについてネットで調べるのが常識かもしれませんが、ぼくにはそんなことへの興味関心が皆無だった。ネットの情報を侮っていた所為かもしれませんが、自分で調べる意欲はさらさらありませんでした。

しかし、「感情」というものが少し気になって、色々とネットで検索していたら、出てくる出てくる、情報が山のようにある。その中に、「アレキシサイミア」「アレキシソミア」という言葉を見つけました。似たものとしては、「感情鈍磨」というものもありました。「アレキシサイミア」は、感情を表現できない、内省できない、感情をコントロールできない、などの症状が典型であるようです(たぶん)。これは身体感覚の欠如とも深く関連しているようです。

優しい人とか、怖い人とか、そういう人間の性質は、他者からは絶対に分からないのではないか、と思います。例えば、ぼくは基本的に知人や友人には優しく接しますが、その主な理由は自分が臆病だからです。つまり、嫌われたくないとか、そういう内向きな理由から、優しく接するのです。必ずしも相手を思いやった末の優しさではない。しかし、結果的にはこの態度は「優しい」態度でしょう。逆に、本当はとても相手のことを思いやっているのに、恥ずかしさからそれを態度で示すことができないという事例も多々あるでしょう。これは親しい間柄、恋人関係や家族関係などによく見られると思います。結果的にこの態度は「恐ろしい」「無礼な」態度となるでしょう。・・・そんなことをぼんやりと考えて、ネットで検索してみたら、「アレキシサイミア」という言葉に出会ったのでした。

いま、こういった事柄について理解を深めたいという欲求が初めて高まっています。でも、それは恐らく寝て起きたら跡形もなく消え去っている感情でしょう。ぼくには喜怒哀楽はある。でも「興味」が失われている。それが非常に大切なことであっても、それを知りたいという関心がない。これはなんだ?「アレキシサイミア」ではない。じゃあこれはなんだ?ビルの屋上から眼下を見降ろしたときのように、自分の中の欠落にぞっとする。

思ったことなど

2013-01-29 02:32:07 | Weblog
センター試験の小説が難しかったと聞いて、読んでみましたが、牧野信一じゃないか。内容も別にどうということはない。設問が難しかったのかな?カタカナが多用されているとか、やたら「スピンスピン」が話題になっていたので、ローマ字日記的なものが出題されたとか、余程奇抜な内容なのだろうと期待して読んでみたら、何のことはなかった。牧野信一を知っている高校生はあまり多くないかもしれないけれど、これくらいの文章は抵抗感なく読めてもいいはずじゃないかと思う。

大学が冬期休講になったらしく、どうやら授業がないようです。代わりにエクスカーション(社会科見学とでも訳せばいいのか?)に行きましょうという話になって、facebookに連絡を回すということになったので、やっていないぼくには後で連絡を入れるという話に落ち着いたのだけど、結局そんな連絡は来ず、ぼくはエクスカーションに行かなかった。それとも日にちを間違えているのか?じゃあ今日は授業があったとか?よく分からない。明日はとりあえず滞在登録書を受け取りに大学まで行きます。が、明日はもともと授業のない日なんだよなあ。様子を見ることができません。

授業が休講になるのに合わせてかどうか知りませんが、寮の食堂がこの期間、昼から夕方までの営業になりました。したがって、夕飯を食堂で取ることができない!しかし昼間はやっているので、今後しばらくは昼食を食堂でいただき、夕飯は部屋で済ませることにします。今日は早速そうしてみましたが、いつも夕方はガラガラの食堂が、昼間は大変な賑わいだったので驚きました。でも観察してみると、お客はどう見ても学生じゃない。中年のおじさんがほとんどなのでした。どういうこと?

今日は日中の間、平時より余計体が重くて気だるかったのですが、これはやはり薬の副作用なのだろうか。無気力、倦怠感、だるさ、落ち着かない感じ、といった要素は以前服用していた薬の副作用の症状でもあり、ただしその程度が以前に比べてかなり微弱であるため、これまで我慢してきましたが、もういい加減薬をやめたい。病気の症状はほとんどないので、自分で自分が病気だとは思っていないのにもかかわらず、これまで薬の服用を続けたのは、「惰性」という一言で説明できます。一度この鎖を断ち切らねばならないような気がします。