ビーイング系ブームの頃だからかなり前の話になるのですが…
知り合いがこんな冗談を言ってました。
「"WANDS"って、要するに"ワイルドワンズ"からワイルドを抜いたということだよな。」
おいおい。
ただでさえワイルドというイメージがないワイルドワンズから、
さらにワイルドを抜いたらどんなおとなしくなるんだ。
と笑ってたのですが…。
ほぼ日刊イトイ新聞 - 総武線猿紀行
で2002年のライブの様子が書かれてるのですが、
いやいや。結構ワイルドみたいな感じですね。
いや、WANDSがワイルドじゃなかったというわけではないですが。
同様のネタで、
「"T-BOLAN"って、日本のバンドで例えると"X-YOSHIKI"と名前付けるようなもんだよな…」
というのもありました。
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われ思ふ ゆえに・・・:給食費を払わぬ親たち
給食費の問題とか、「いただきます」問題とか…で、
お金を払わなければものは買えない、食べられない。それが社会のルールであり、正直者が割を食うなんて不公平があっていいわけがない。私もまったくそう思う。
しかし、である。だからといってこの問題を「子どもに給食を提供しない」ことで解決しようとしてはならない、と強く思う。
確かに、「払ってないと食べられない」というのは子供にとっては大変なことですよね。
それこそいじめとかの引き金にもなりかねないわけで…。
まあ、給食費って「教材費」の意味合いもあると思うんですが…その払わない親は教材費も払わないのかな…ってない話じゃないかも。
ただ、少し気になったのがここ、
クラスメイトがそのことを知っていてもいなくても、後ろめたく居たたまれないに違いない。みなのように給食の時間を楽しみになんてとてもできないだろう。
もしかしたら食べないでいるほうがよほど気が楽だと思っているかもしれない。
まあ、そういう子もいるかもしれないけど、多分子供はそこまで考えてないと思うんです。
何しろそういう家庭で育っているわけで、その家庭にとっては「それが常識」になっている可能性のほうが高いと思います。
加害者は往々にしてそういう意識はないものだし…。
例えば、いっしょにしたらまずいかもですが、
「飛び石連休の中日、学校を休んで旅行する」なら、
そのことを気に病む子供はいないだろうし、
子供にとっては、同じ次元なのではないかと思います。
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ブログが検索の邪魔だというけど、
ソーシャルブックマークのページが検索にかかるよりはいいと思う…。
…というか、サービス側は検索避け埋め込んでもいいんじゃないかと思うんですが…。
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書こう書こうと思ってるうちに約3ヶ月。
「新作」ではなくなっちゃいましたが、
とりあえずCoccoの新作アルバムの感想ということで。
個人的な感想を一言で言うと、「Cocco is back」という感じ
…ってそのままですが。
やっぱりSinger Songerでは出し切れていなかった
Coccoの「"耳障り" のいい声」が
このアルバムでは聞こえてきます。
で、とにかく楽しそうに歌っているのが印象的。
特にM2"暗黙情事"での「絶叫」
(シャウトという言葉では弱い気がするので)。
2nd収録の"裸体"などでも同じような絶叫があったのですが、
その時と違い、伝わってくるのは「身を切るような痛み」ではなく、
「歌える喜び」でした。
正直いうと、休止前にあった情念とかオーラとか、
たぶん今回のアルバムにはごっそり抜け落ちていて…。
でも、そういうものがないからこそ、
彼女のボーカリストとしての上手さや幅の広さ
(歌いこなすより歌い倒すタイプですが)
が分かるような気がします。
あれだけカリスマ視され、全人生を託しかねないひとが大勢いて、
その重みを一身に受けていて…。
極端な話、薬でつかまったり、
道端で命を無くしてしまってもおかしくないくらい…。
そうなる前に「降り」てしまうことで、
壊れずにこうやって戻ってくることが出来たわけで…。
結果として「伝説」を拒否したということなのかもしれない。
そんなこんなで、多分このアルバムは
「歴史に残るアルバム」にはなりえないと思うのですが、
それでも私には十分に価値のあるアルバムです。
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「身銭切れ」心臓移植希望の女児支援HP、中傷相次ぐ : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
こう言うとものすごく語弊があるのですが…。「何をいまさら」…というのが正直な感想です。
* 以下、調べたわけじゃないので、あくまでも私のイメージ+憶測の域の話です。
個人的な感覚として、そういう(大々的な)募金をする人って、ある程度裕福な人が多いというイメージがあります。
以前は、今のようにネットの普及ということもなく、全国的に告知を打つというのは難しかったわけですが、「県内」とか、ある程度の規模でそういう「手術のための募金」ってあった記憶があります。
そのときの親の職業とかを何度か見て、それでの偏見なんですが…。
なんと言うか、100のところに10,000の物が来たとしたら、そういう募金という発想になるけど、10とか5のところに10,000であれば、そういう選択肢すら思いつかないんじゃないかと…。実際問題として、そういう病気になった子供って、その子だけではないはずだし。「なすすべもないまま」ということって多いんじゃないかな…。
とはいえ、そういう立場に実際なったらいろいろいっぱいっぱいで、容量を越えた負荷であるのは間違いないだろうし…。「そういう話が自分に起こらない保証なんてこれっぽっちもない」から、別に文句とかいう気にはならないんですが。
実際問題、それだけのお金があれば、(国内でも)もうすこし多くの人が救われるなんてこと考えちゃうんですよね…。
で、結果として、私の場合
「縁のない人」のためにそんな効率の悪い方法で身銭は切れない
となってしまうと…。
とはいえ、S:今日の一言 - じいっと見ている話題と、我が身に起きた経験とやそのリンク先に書かれていることを読んでみると、私の考えていることって的外れなのかな?という感じにはなります。
実際そういう経験はないし、現場(?)を知っているわけでもないわけで…。
結局よく分かってないし、よく分からないんですが…。
参考:
S:今日の一言 - じいっと見ている話題と、我が身に起きた経験と
琥珀色の戯言 - 死ぬ死ぬ詐欺
partygirlの日記 - 死ぬ死ぬ詐欺
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