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自然宗教1



なぜこのひとはこんなに幸福そうなのでしょう?
今夜のブログは、このかた、日本の植物学の父と称えられる
牧野富太郎博士を話題にします。

昨日のブログにも書きました古いCDロムが見つかって
牧野博士を話題にした懐かしい記事もあったんです。

2001年11月14日にUPしたものです。
HPに復刻するまえに、ブログにUPしてみます。

それはこんなふうに始まります。

  4日前、東京新宿紀伊国屋書店を散歩する機会があって
  いろんな本を立ち読みしていたら
  あの膨大な書籍群のなかから一冊の本が僕を呼びとめました。

  牧野富太郎著「植物知識」講談社学術文庫。

  高知五台山の近くにある高知県立牧野植物園の光景と
  博士が描かれた丹念な植物画がありありと目に浮かびました。

あのとき桂子と一緒に東京と札幌に行く用事がありました。
旅の帰りに寄った新宿の紀伊国屋書店で
ふとこの本に出会ったんです。



博士の植物画です。
今はデジタルカメラの性能が驚くほど良くなって
何でもデジカメですます時代ですが
美術出身の私としては、こういう手書きの絵を見ると
やっぱりいいなーと思います。

こういうふうに描くと、じっくり観察するし
目に焼き付きます。一生忘れないんですね。



これも博士の絵なんですが、絵を紹介したいわけではないんです。
私が感銘を受けたのは博士の“自然宗教”の考え方でした。
2001年11月14日にUPしたのは牧野富太郎博士の下記の文章でした。




植物に取り囲まれているわれらは

このうえもない幸福である

こんな罪のない

かつ美点に満ちた植物は

他の何物にも比することのできない

天然の賜物(たまもの)である

実にこれは人生の至宝であるといっても

けっして過言ではない


翠色したたる草木の葉のみを望んでも

誰もその美と爽快とに

うたれないものはあるまい

これが一年中われらの周囲の景色である

またそのうえに植物には紅白紫黄

色とりどりの花が咲き

われらの眼を楽しませることひととおりではない

だれもこの天から授かった花を

愛せぬものはものはあるまい

そしてそれが人間の心境に影響すれば

悪人も善人になるであろう

すさんだ人も雅(みやび)な人となるであろう

罪人もその過去を悔悟するであろう

そんなことなど思いめぐらしてみると

この微妙な植物はひとつの宗教であると

言えないことはあるまい


自然の宗教!

その本尊は植物

なんら儒教、仏教と異なるところはない

今日私は飽くまでもこの自然宗教にひたりながら

日々愉快に過ごしていて

なんら不平の気持ちはなく

心はいつも平々坦々である

そしてそれがわが健康にも響いて

今年八十八歳のこの白髪のオヤジすこぶる元気で

夜も二時ごろまで勉強を続けて飽くことを知らない

時には夜明けまで仕事をしている

畢竟(ひっきょう)これは

平素天然を楽しんでいるおかげであろう

実に天然こそ神である


牧野富太郎