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三浦梅園 (1)



一昨日、雨の中、宇佐の大分県立博物館、宇佐神宮を訪ねたあと、寺院神社が多い緑の道を走って三浦梅園旧居へ。

竹田に定住する前、隣町に仮住まいしていた時代に、関西から遊びに来ていた父が行きたいというので、国東の主な寺院神社を訪ね、そのときに三浦梅園旧居も訪ねたのでした。そのときは旧居横の三浦梅園資料館はまだありませんでした。今回は、資料館をゆっくり楽しむことができました。父が生きていたら、彼も行きたがったと思います。



旧居の庭からの眺め。
この景色、江戸時代からたいして変わっていないでしょう。

こんなところで、彼は医者を本業としながら
星々を観察し、森羅万象、山川草木虫魚を観察し
宇宙と人、人の世の条理(しくみ、原理、法則)を探求した・・・

情報が集まる江戸や京、大坂ではなく
空と山と田んぼ畑と少しの民家しかないようなところで
彼は壮大な自然哲学を創造したのでした。



三浦梅園(安貞)。享保8年(1723)~寛政元年(1789)。

彼の著した贅語(むだ話)という本のなかに
「学は天を師とし、人を友とす」という言葉があるそうです。

別府大学地域連携プログラムというサイトに「贅語」がUPされています。
http://bud.beppu-u.ac.jp/xoops/modules/xoonips/listitem.php?index_id=1137

著者は、「日本 鎮西 三浦晋安貞 著」とあります。
鎮西は九州。日本九州三浦を名のったわけです。
彼は長崎から来た当時の最新の世界地図を持っていました。

世界を意識し世界に向けて発信するつもりがあったのでしょう。
視野は世界にあったということです。

そして今、世界は三浦梅園を受信し始めました。