6月の中旬に僕は新潟の長岡を訪れる機会が有った。最近は歳のせいか疲れが残るので弾丸出張は控えるようにしているので、実はアポイントメントの間に時間があることが多い。こんな時は時間を有効に生かすに限る(笑) それに長岡は母方の家系からすると因縁浅からぬ場所。長岡藩士であった先祖は、戊辰の役の際に魚沼(石打)や群馬の沼田に落ちのびてきたらしいと聞いている。それに、まだ見ていないけど、いま上映されているらしい司馬遼太郎原作の”峠”の映画の舞台でもある。
その主役であった家老・河井継之助の記念館と山本五十六の記念館はわずか数百メートルほどしか離れていない場所にあった。
山本五十六が合理主義者だったの原点は、彼が尊敬する河井継之助あると伝えられている。そんなことを思いながら、真夏日の中シャッター街化している長岡の街中を徘徊していた。
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山本五十六記念館の中は撮影禁止だったので近くの公園にて
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常に戦場に在り.....言葉尻だけを考えれば好戦的と思われそうだが、彼の行動と言動の歴史をみると決してそうではない。
要は、平和を守るためには、最悪の場合を考えて準備しろということだが・・・・・
今のウクライナの状況と被って、複雑な気持ちになった・・・・
日米開戦反対の立場であった、山本五十六も 絶対服従の軍の規律のガバナンスの中で
不本意な戦争に突入してしまったとの気持ちを察するに・・・・
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当たり前だけれど、河井継之助も山本五十六も達筆すぎて、残された手紙などを、読み解くことが今の僕にはできなかった(現代語訳もある)。でも、書は河井継之助よりも、山本五十六の方が上手に見えた(笑) 当時はワープロもPCもないのだから、毛筆は人の絶対的な心得だったのかもしれないが、すごいな~~~~
7月になって、仕事で徳之島に出向くチャンスがあったが、台風が原因の欠航で奄美大島から徳之島に向かう船が欠航になってしまい、DNSになってしまった。予定を繰り上げて鹿児島に飛んで営業活動しようと思ったけれど、AUの携帯電話がつながらず、仕事に影響がでた。
お陰で、知覧と鹿屋の特攻記念館を見学する時間ができた。
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知覧の特攻基地の存在は、地元桶川の熊谷飛行隊の桶川分教場跡地にある記念施設でしっていた。今回行ってみて初めて知ったけれど、知覧の基地は海軍と陸軍で共用で使っていたのかと思っていたけれど、どうやら陸軍専用の施設だったようだ。
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名機 隼
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なぜか錦江湾で引き揚げられた ゼロ戦(海軍)が展示してある
そういえば、大西瀧次郎中将(海軍)=特攻隊の発案者の遺書も展示してあった。
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出撃命令がくるまで、特攻隊員が過ごした宿舎(復元)
多くの遺書が展示されている、本人たちの気持ちを察するに 涙無くしては読めない。
本心がなかなか、書けない時代の中で 唯一若妻にあてた手紙が、表現しがたい気持ちにさせた・・・よくまぁ、許されたなと思う。
地元、埼玉県桶川から飛んで戦死されたであろう人の記録もあった。また、旧式の戦闘機、もしかした複葉機みたいな飛行機で特攻をしたような記録もあった(時間が無くて、本当の事実は確かめ切れていない)それにしても、死を前にして彼らが書く文字はなんと美しいのだろうか?毛筆も万年筆らしき遺書もあったけれど、文字が綺麗だ。自分が悪筆であるがゆえになをされ感じる。
それにしても、特攻で死ぬことが誉れと強いるような世の中になってはならないとつくづく思い、知覧(陸軍)を見てなおさら、鹿屋(海軍)の特攻記念館を訪れなくてはとの思いに至る
錦江湾を挟んで反対側の大隅半島に海軍の鹿屋特攻隊基地はあったらしい。いまでもそこには航空自衛隊の基地がある
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この基地の前に記念館はあった。遺族へのプライバシーもあるので中の主な部分は撮影禁止
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記念館に入る前に、まずこの飛行艇の大きさに驚く.....戦前に、こんなもの拵える技術力ってすごいなと....知識として知っていたものの、現物を目の前にするとただただ感服。すごいぞ川西航空機!!!!!
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無くなった隊員の遺影と、いくつかの遺書。海軍の特攻であっても陸軍の特攻であっても、人の気持ちは一緒......
まず最初に死ありきという作戦は繰り返してはならない。軍人である以上、結果としての死は覚悟しなければならないのだろうが.....
軍人ではないが、自衛隊員でも、こんな服務宣誓をするのとしっているかしら??
【 私は、わが国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、強い責任感をもつて専心職務の遂行にあたり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います。】
こんなマインドで、職務遂行してくれていることには感謝しかない(中にはそうでない人もいるかもしれないけれど)彼らの立場に立ってみれば、文民統制が基本とはいえ、くだらない政治家の方針で命をかけて戦いたくないよね。そうしてかんがえると選挙って大切だわな・・・・・
その主役であった家老・河井継之助の記念館と山本五十六の記念館はわずか数百メートルほどしか離れていない場所にあった。
山本五十六が合理主義者だったの原点は、彼が尊敬する河井継之助あると伝えられている。そんなことを思いながら、真夏日の中シャッター街化している長岡の街中を徘徊していた。
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山本五十六記念館の中は撮影禁止だったので近くの公園にて
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常に戦場に在り.....言葉尻だけを考えれば好戦的と思われそうだが、彼の行動と言動の歴史をみると決してそうではない。
要は、平和を守るためには、最悪の場合を考えて準備しろということだが・・・・・
今のウクライナの状況と被って、複雑な気持ちになった・・・・
日米開戦反対の立場であった、山本五十六も 絶対服従の軍の規律のガバナンスの中で
不本意な戦争に突入してしまったとの気持ちを察するに・・・・
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当たり前だけれど、河井継之助も山本五十六も達筆すぎて、残された手紙などを、読み解くことが今の僕にはできなかった(現代語訳もある)。でも、書は河井継之助よりも、山本五十六の方が上手に見えた(笑) 当時はワープロもPCもないのだから、毛筆は人の絶対的な心得だったのかもしれないが、すごいな~~~~
7月になって、仕事で徳之島に出向くチャンスがあったが、台風が原因の欠航で奄美大島から徳之島に向かう船が欠航になってしまい、DNSになってしまった。予定を繰り上げて鹿児島に飛んで営業活動しようと思ったけれど、AUの携帯電話がつながらず、仕事に影響がでた。
お陰で、知覧と鹿屋の特攻記念館を見学する時間ができた。
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知覧の特攻基地の存在は、地元桶川の熊谷飛行隊の桶川分教場跡地にある記念施設でしっていた。今回行ってみて初めて知ったけれど、知覧の基地は海軍と陸軍で共用で使っていたのかと思っていたけれど、どうやら陸軍専用の施設だったようだ。
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名機 隼
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なぜか錦江湾で引き揚げられた ゼロ戦(海軍)が展示してある
そういえば、大西瀧次郎中将(海軍)=特攻隊の発案者の遺書も展示してあった。
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出撃命令がくるまで、特攻隊員が過ごした宿舎(復元)
多くの遺書が展示されている、本人たちの気持ちを察するに 涙無くしては読めない。
本心がなかなか、書けない時代の中で 唯一若妻にあてた手紙が、表現しがたい気持ちにさせた・・・よくまぁ、許されたなと思う。
地元、埼玉県桶川から飛んで戦死されたであろう人の記録もあった。また、旧式の戦闘機、もしかした複葉機みたいな飛行機で特攻をしたような記録もあった(時間が無くて、本当の事実は確かめ切れていない)それにしても、死を前にして彼らが書く文字はなんと美しいのだろうか?毛筆も万年筆らしき遺書もあったけれど、文字が綺麗だ。自分が悪筆であるがゆえになをされ感じる。
それにしても、特攻で死ぬことが誉れと強いるような世の中になってはならないとつくづく思い、知覧(陸軍)を見てなおさら、鹿屋(海軍)の特攻記念館を訪れなくてはとの思いに至る
錦江湾を挟んで反対側の大隅半島に海軍の鹿屋特攻隊基地はあったらしい。いまでもそこには航空自衛隊の基地がある
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この基地の前に記念館はあった。遺族へのプライバシーもあるので中の主な部分は撮影禁止
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記念館に入る前に、まずこの飛行艇の大きさに驚く.....戦前に、こんなもの拵える技術力ってすごいなと....知識として知っていたものの、現物を目の前にするとただただ感服。すごいぞ川西航空機!!!!!
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無くなった隊員の遺影と、いくつかの遺書。海軍の特攻であっても陸軍の特攻であっても、人の気持ちは一緒......
まず最初に死ありきという作戦は繰り返してはならない。軍人である以上、結果としての死は覚悟しなければならないのだろうが.....
軍人ではないが、自衛隊員でも、こんな服務宣誓をするのとしっているかしら??
【 私は、わが国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、強い責任感をもつて専心職務の遂行にあたり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います。】
こんなマインドで、職務遂行してくれていることには感謝しかない(中にはそうでない人もいるかもしれないけれど)彼らの立場に立ってみれば、文民統制が基本とはいえ、くだらない政治家の方針で命をかけて戦いたくないよね。そうしてかんがえると選挙って大切だわな・・・・・