トホホおやぢのブログ.....

アンチエイジング、自転車、ダイエット、スイム、ラン等々、徒然なるままを・・・

ここら辺のCR事情 from コンスタンツ、ドイツ

2013-08-29 12:34:00 | 自転車事情
ジョギングをしながら、サイクリング道路のインフラを観察している時に、少なくともここドイツのコンスタンツの街では、インフラの問題以前に根本的な違いが有る事に気が付いた。

それは、オートバイを含めた自動車が、交通弱者に対して日本とは比較にならない程、優しいということだ。この事は、イタリアのミラノの街中でも、過去に感じた事がある。その時の印象は、
「さすが、自転車先進国‼」
程度のイメージしかなかったのだが…(たぶんそれは、インフラ面では、イタリアも日本も同程度だったからかもしれない)


昨日の朝のジョグでは、老婆が道を横断しようとした時に、通り掛かった車は当たり前のように直ぐ止まった。今朝のジョグでは、自分自身が横断歩道を渡ろうとした時に、勢いよく走って来た日本製の大型バイクが、何事もなかったようにサッと停止、渡るのを躊躇していた私自身を促すように手で合図をしてくれた。街並みの景観も手伝って、騎士道精神に触れたような感覚さえ思ったほどだ。

日本では、横断歩道であっても、直ぐに止まってくれるのは稀だと思う。ムリに渡ろうとすれば、クラクションを鳴らされるのが、当たり前のような状況ではなかろうか!? 残念ながら、武士道精神とは、ほど遠い…

この違いはなんなのか?厳罰なのか?それとも教育の違いなのか?
はたまた文化的背景の違いか?!
道路横断の難易度いかんで、その国が先進国なのか?発展途上国なのか?を調べたら、残念ながらわが国は、間違いなく後者であろう。


昨今、自転車関連のインフラをヨーロッパに見習って云々の話は良く聞くが、教育という視点まで踏み込んで交通行政を論じた話をあまり聞いた事がない。厳罰主義の可能性もあるが、少なくとも交通教育は、インフラ整備よりも、金(税金)を掛けずに出来そうな事なので、そこら辺は、自転車乗りの谷垣大臣に期待したいとこなんだが…
票にならねぇのかな????

ここら辺の事情を実際に体験してみると、先日の母親の監督責任を問われた9500万円の判決も、交通教育を怠って来てた行政側の責任も少しあるのような気もしてくる。

あ、ところで、インフラはこんな案配だった。

これは、ライン川にかかる橋と併設して、自転車専用のループが併設されている。



こんな公共事業ならば、大歓迎だぞっ(笑)



マップでみると、このループ状の部分だ


以下の写真は、近頃の日本の近い・・・・



だれも、歩道や自転車走行車線を塞いで駐車するような輩はいない【見たことが無い】


車道と完全に区切ってしまっている箇所もあった。


やはり、自転車利用者を増やすには、このような自転車専用標識を増やして
目的地への距離をわかるようにするべきだ。

自転車に乗り慣れない人たちの多くが、10㎞がとても遠い場所と錯覚するのを
標識が有れば、とても近いと感じるようになるはずだ。

海外通販で、購入したパーツの欠陥が原因で、怪我をしてしまったら?

2013-08-25 15:34:00 | 自転車事情
【事例】
海外通販で買った、ホイルセットが走行中に突然止まり、投げ出されて転倒大怪我!自転車は壊れる、身体も重症!


自転車の修理代
自分の治療費
仕事を休んだ分の収入減
その他、この事故のせいでいろいろなお金が掛かった。



こんな場合どうなる?
なんとか請求したいですよねぇ…


でも、結論から言うと、簡単ではない。
自分自身でその海外の通信販売をしている会社に その損害を請求するしかない。その通販会社がそのホイルセットを製造している訳ではないので、その会社から、製造メーカーへ連絡が行くことになるが、欠陥と事故、そして発生した損害の因果関係まで、きちんと説明して、海外側が納得しなければ、これらの掛かった費用は取り戻せない。


当然、問題点として
言葉の壁
法律の違い

等の大きな壁が立ちふさがる事になる。

では、国内のそのホイルセットの取扱代理店に請求できないのか?
結論から言うと、NG
民法上で、直接的にも間接的にも売買契約関係が無いので、
日本国内の取扱代理店には責任を負担する法的義務が無い。


製造物責任法でも、責任主体として
・製造者
・ブランド表示者
・輸入者
を定めているが、このようなケースでは、国内の取扱代理店が責任主体ではなく、輸入者がユーザー自身である。従って、自分が自分に対して損害賠償請求する事になるので、意味がない。でも、注意しなければいけないのは、安易な転売や輸入代行行為は、自らが輸入者として責任を負わなければならないリスクを負う事になるので、要注意だ。


昨今、自転車事故関連の裁判で、賠償額が大きな判決が幾つかでた。自分だけ痛い思いをするならまだしも、自分自身が輸入した製品の欠陥が原因で、他の第三者に損害を与えてしまった場合は、もっと深刻な事態になることは、誰にでも想像できるし、前述の事例にあげた事故の場合でも、他人に怪我をさせるケースが無いとは言い切れないだろう。

結論として、万一の場合、生死に関わる事故が起こりうる自転車パーツの海外通販利用は、製品安全という観点からも…である。








自転車事故の保険の盲点! その1

2013-08-05 15:54:00 | 自転車事情
自転車事故の裁判で9500万円の判決が報道されたのは、記憶に新しいところだと思う。
最近にわかに、自転車事故を起こしてしまった場合の保険が注目されたきたが、
これに関する報道も、いまひとつ不十分なことが多い
一般のホビーユーザーには関係の無い話なのだが・・・・
実は、こんなことが見逃されている・・・・

業務中の自転車事故はその保険は使えない!


「へっ!?どういうこと???」


ハトが豆鉄砲的な話なのだが、約款なんぞを詳細に読み解くと・・・・

賠償責任保険約款を見ると
「被保険者の業務遂行に直接起因する損害賠償責任」については、保険金を支払わない」


と定められている。
平たく言えば、業務中の事故は免責なのだ。仕事で自転車に乗る必要がありそうな人は特に注意が必要であり、蕎麦屋の配達から、メッセンジャー、ショップ主催のサイクリングの随行業務も、競輪選手も、アラシロ幸也も、仕事で自転車に乗っていること=業務中なのである。

だから、個人賠償責任保険からは、賠償保険金は支払われない

 また、従業員が自転車で通勤途上で起こした事故に関しては、実はグレーだ。事故を起こした従業員に賠償能力が無い場合は、使用者責任を問われ、使用者側に損害賠償請求される可能性が大きい。
 これらのリスクを担保するには、会社(ショップ)として、自転車の運行を対象にした施設賠償責任保険に入るか、企業リスクを包括して担保する総合型の保険に入るしか方法は無い。


僕の周りには、業務で自転車に乗る人もいるので、気を付けて欲しい・・・


ステキなカレィ(彼?加齢?)

2013-08-04 21:21:00 | 他愛無き事
田舎にあった、山に関する本を処分することにした。
処分といっても、捨てる訳ではない。
捨て去るには、僕の人生で、あまりにも重い。
重量的にも(笑)、思い出的にも・・・


幸い運よく、その価値を理解して(たぶん)
貰ってくれるくれる方いたので、
娘を嫁に出す気分に近い・・・・
(娘の子供は、いないのでこれもたぶん)

様々な思いが交錯する。
山に散った後輩のこと、先輩のこと・・・
登山というスポーツは、死という現実が身近にある。
しかし、その当事者だった自分自身、現実の問題として
考えていなかったような気がする。
身近な人達が、亡くなった現実を目の前にしても・・・・


貰ってくれる方は、この本の中にも登場するほどの
その昔、若きし日頃はそこそこのクライマーだった・・・・
その後は、数十年?山とは縁遠い人生だったはずなのだが、
何を血迷ったか・・・・
最近また、再燃して来年はエベレストを究めようとしている。
そのキッカケについて、聞く事は忘れたが、
まるで、初恋の女との再会というか、再燃というか・・・


本を整理していてあることに気が付いた。
山や岩壁を登ることが、自分の人生の全てと勘違いしていた頃は、
正直、野山に咲く花に僕は全く関心が無かった。
それを証明するように、嫁に行く多くの本の中には、
その手の書籍は全くなかった。
いま、日頃楽しんでいる自転車で自然に触れる機会には、
必ず花に目が行くし、重要なサイクリングのポイントだ。


何時の頃から、花に関心を持つようになったのか覚えていない。
社会人になって、ヒマラヤへの挑戦を諦め、
しばらくして、中年になった頃
「人間は必ず死ぬ」という
運命を意識するようになった頃からだと思う。
そして、花や季節を楽しむことが出来るようになった。
正直、楽しむというよりは、生あるうちにあと何回体験できるのか?
という切迫した気持ち?からかもしれない・・・


先日も、近所の荒川の土手で、キスゲに似た、ノカンゾウの花の小さな群落を見つけた。
それは、何度か訪れた尾瀬ヶ原に咲くニッコウキスゲの群落を思い出させた。
そして、また訪れてみたいと、心底思った・・・



当時は、夏の尾瀬という場所でさえ、少し退屈な場所だと思っていた。
より難しい岩壁を登れるクライマーが、何おいても至高であるという錯覚を持ち、
ハイカーやワンゲルの人達が訪ねる場所を小馬鹿にしたような
傲慢とも言えるような考え方だったかもしれない。
今思えば、恥ずかしいことだが・・・

中年になってから、自転車を楽しむようになった。
サイクリングに行くと”追いかけっこ”も楽しいけれど、 
景色や花に目が行く。

ハイスピードで、目を▽にして、サイクリングロードを
わがもの顔に猛スピードで走っている若い人たちを見ると
なぜが、自分が山を登る事だけに夢中になっていた時代のそれと
似ているような気がする・・・・

土手に咲く、小さな花には、
昔の自分のように、関心は無いようだ。

それを責めるつもりは、まったくない。
それは、その時代、その時に 自分たちなりに
大切な瞬間を過ごしているに違いない
かつて、山が全てだった自分のように・・・

今は、カレィ(加齢)は、いまいましい現実でもある
と思いつつも、
今迄、見えなかっり、気が付かなかったことが、
いつの間にか見えるようになった幸せを実感している。
ひっそりと野山に咲く花に、愛おしさや憐みを感じ、
季節毎に景色が変わることに感動できる感覚が肥える。

青春時代とは違って見えるもの感じるものの
次元と言うか、多様性が広がるというか・・・・
悪くはない
それはそれで、ステキと思う。