しかし、体重は減少しない。どころか正確に言えば微増だ。
喰意地がはっているのか・・・・?それとも太りやすい体質なのか?これは逆に病気ではないのか?しかし、友人の医師は病気とは認めず食欲抑制剤を絶対処方してくれない・・・・
一部の人は、絶対他人より僕は余計に食べていると言う。そんな気もするのだが・・・
つらつら考えてみれば、モッタイナイ精神を受け継ぐ僕らの世代は、ある意味太る宿命にある。モッタイナイ精神のお陰で・・・・
幼少期から、食べ物を残すという行為は、“悪い事”と教えられた。
食事を残すことは、作ってくれた人に“失礼だ”と教えられた。
米粒一つ残さずきれいに食べなさいとも教えられた。
若い頃、最初にアメリカに仕事で行ったとき、レストランに行って皿の上にある圧倒的な食事にモッタイナイ精神が簡単に打ち砕かれ、頭に浮かんだのはアフリカの飢餓に苦しむ子供達の姿、そして罪悪感だった。残した食べ物をためらいもなく捨てるということ。そして煙草がどこでも自由に吸えないということが、カルフォルニアを少し嫌いにさせた。こんな国となんで戦争してしまったんだ!?とも思った。20年ほど前の話だ。その後、自分自身が煙草を止めてからカルフォルニアは僕の中では少し復権した(笑)が、豊富でカロリーの高い食事は、いまでもアメリカの日常だ。
日本の影響を歴史的に少なからず受けている何十回と訪問している台湾でも、彼らの“おもてなし”の精神は、円卓に乗り切らないほどの料理。当然、完食することは簡単ではない。僕はいつも毎晩満腹で、翌朝のジムは必須だ。
今、向かっている(飛行機の中で書いている)ヨーロッパも、食に関しては僕を困らせてくれる。地域性豊かな食材が豊富で、それをダイエットの為に抑制しようとする自分とせっかくだから楽しまなければとモッタイナイと思うそれぞれの板挟みになる。困ったことにそのほとんどが期待を裏切らず存分に楽しませてくれる。そしてこれらもまたモッタイナイので完食することになる。
モッタイナイ精神は、日本国内に封印すべきなのかもしれない。
半世紀以上を生きて今、ただのモッタイナイ信者のままでは、それがメタボの原因になり数週間後には服のサイズが合わなくなったりすること気が付いた。加齢とともに代謝も落ちているのだ。若い頃一日2500kcalあった基礎代謝が、いまや1400kcalほどだ。ラーメン一杯と餃子にビールを1本飲んだら到達してしまう。
皮肉なもので、歳を経るごとに旨いものへの触覚が敏感になり、脳味噌のメモリに記憶される。その多くは、基礎代謝の低下した用済みの肉体には無害と言えないものが多い。
若い頃に比べて減ってしまった基礎代謝を補うには、どうしても運動代謝は必要不可欠だ。旨いものを喰ったら、その分運動しなければならない。それが僕がジョグる動機の一つだ。でも本当は自転車の方がラクにカロリーを消費するし、好きだ。フルマラソンの消費カロリー(約3000kcal)を自転車ならば、週2~3回はそれほど苦労なくできる。フルマラソンは、1回走ったら体へのダメージが大きく2~3週間は42.195kmを再び走ることができないだろう。問題は、自転車は時間がかかるということが欠点。朝、家を出て景色を楽しみ季節を楽しみ食事を楽しんで夕方帰ってくると3000kcalくらいはラクに消費する。しかも楽しく飽きることもない。が、週2~3回もこんなことをしたら、いわずもがな・・・・・。
喰意地がはっているのか・・・・?それとも太りやすい体質なのか?これは逆に病気ではないのか?しかし、友人の医師は病気とは認めず食欲抑制剤を絶対処方してくれない・・・・
一部の人は、絶対他人より僕は余計に食べていると言う。そんな気もするのだが・・・
つらつら考えてみれば、モッタイナイ精神を受け継ぐ僕らの世代は、ある意味太る宿命にある。モッタイナイ精神のお陰で・・・・
幼少期から、食べ物を残すという行為は、“悪い事”と教えられた。
食事を残すことは、作ってくれた人に“失礼だ”と教えられた。
米粒一つ残さずきれいに食べなさいとも教えられた。
若い頃、最初にアメリカに仕事で行ったとき、レストランに行って皿の上にある圧倒的な食事にモッタイナイ精神が簡単に打ち砕かれ、頭に浮かんだのはアフリカの飢餓に苦しむ子供達の姿、そして罪悪感だった。残した食べ物をためらいもなく捨てるということ。そして煙草がどこでも自由に吸えないということが、カルフォルニアを少し嫌いにさせた。こんな国となんで戦争してしまったんだ!?とも思った。20年ほど前の話だ。その後、自分自身が煙草を止めてからカルフォルニアは僕の中では少し復権した(笑)が、豊富でカロリーの高い食事は、いまでもアメリカの日常だ。
日本の影響を歴史的に少なからず受けている何十回と訪問している台湾でも、彼らの“おもてなし”の精神は、円卓に乗り切らないほどの料理。当然、完食することは簡単ではない。僕はいつも毎晩満腹で、翌朝のジムは必須だ。
今、向かっている(飛行機の中で書いている)ヨーロッパも、食に関しては僕を困らせてくれる。地域性豊かな食材が豊富で、それをダイエットの為に抑制しようとする自分とせっかくだから楽しまなければとモッタイナイと思うそれぞれの板挟みになる。困ったことにそのほとんどが期待を裏切らず存分に楽しませてくれる。そしてこれらもまたモッタイナイので完食することになる。
モッタイナイ精神は、日本国内に封印すべきなのかもしれない。
半世紀以上を生きて今、ただのモッタイナイ信者のままでは、それがメタボの原因になり数週間後には服のサイズが合わなくなったりすること気が付いた。加齢とともに代謝も落ちているのだ。若い頃一日2500kcalあった基礎代謝が、いまや1400kcalほどだ。ラーメン一杯と餃子にビールを1本飲んだら到達してしまう。
皮肉なもので、歳を経るごとに旨いものへの触覚が敏感になり、脳味噌のメモリに記憶される。その多くは、基礎代謝の低下した用済みの肉体には無害と言えないものが多い。
若い頃に比べて減ってしまった基礎代謝を補うには、どうしても運動代謝は必要不可欠だ。旨いものを喰ったら、その分運動しなければならない。それが僕がジョグる動機の一つだ。でも本当は自転車の方がラクにカロリーを消費するし、好きだ。フルマラソンの消費カロリー(約3000kcal)を自転車ならば、週2~3回はそれほど苦労なくできる。フルマラソンは、1回走ったら体へのダメージが大きく2~3週間は42.195kmを再び走ることができないだろう。問題は、自転車は時間がかかるということが欠点。朝、家を出て景色を楽しみ季節を楽しみ食事を楽しんで夕方帰ってくると3000kcalくらいはラクに消費する。しかも楽しく飽きることもない。が、週2~3回もこんなことをしたら、いわずもがな・・・・・。