トホホおやぢのブログ.....

アンチエイジング、自転車、ダイエット、スイム、ラン等々、徒然なるままを・・・

奇跡?!脊柱管狭窄症なのにマラソン完走できたおやぢ!

2015-11-17 19:26:00 | 泳ぐ・乗る・走る

埼玉国際マラソン サブ4チャレンジ
結果からいうと、無事にサブ4を達成して制限時間の2分前(グロス)で完走
ネットのタイムは、3時間55分ほどだと思う。
涙がでるくらいうれしかった・・・・

なぜなら、1ヶ月ほど前は、脊柱管狭窄症による、左股関節から、左足全体への痛みと痺れで、杖をつきながら歩行していた状態だったのだから・・・



それを知っている人からはしてみれば、あれは仮病だったんじゃないの?ブラフ?なんて思われても仕方ない。自分自身がこの回復については、漠然と考えると奇跡かも・・・・なんて思ってしまうくらいだ。同世代の人達が同じような症状を持ち、我慢しながら生活をしている人も多いようだ。冷静に考えれば治療方法さえ間違えなくて、診断さえ的確ならば治癒する可能性は高いような気がする。


発病からどのように治療していったかを、同じ悩みをもつ人のために記すことにする。

発症は、約1年前の11月1日試乗会でなにか重いものを無理して持ったときからと思う。

どんな具合かというと、間欠跛行という症状がでる。歩きはじめて100mくらい、或いは2~3分はいいのだけれど、少しづつ股関節から痛みと痺れがはじまり、我慢していると足全体にそれが広がり歩行困難に至る。座って少し休むと、また少し歩けるという厄介でいまいましい症状だ。実はこんな状態が1年ほど続いていた。
後屈すると、左足に痺れと痛みが発症するので、ゴルフもできない(フォロースルーができない)歩くことも厳しい。不思議なことにスロージョグならば歩くよりもラクだった。マトモな医師は痛くなければ運動はしていいよ。無理のない範囲で的なアドバイスをくれる。前屈は問題ないので、自転車にはふつうに乗った。ツールド東北211kmもまったく問題なく完走できた。でも、この影響で、9回目の完走を目指した宮古島TRはDNFだった。


昨年11月発病して、すぐにトライアスロンをしたいという前提での治療を考えていたので、迷わずスポーツ整形外科で、以前からお世話になっている北浦和のK整形外科へ、リハビリとレントゲンでなかなか回復の見込みが立たず、友人に教えてもらったJスポーツ整形へ、MRIをとり、ここで脊柱管周辺の血流を良くする点滴を12月から今年の1月に実施。しかし、状況は改善せず。


ここのリハビリのトレーナーは、スポーツをすることを前提にリハビリをしてくれて、複式呼吸法等をコーチしてくれて良かったが、ここの整形の先生の一言で信頼を失う・・・
「その程度動けるのならば、年齢も年齢だし、まぁそれでいいんじゃない?」
リハビリのトレーナーは、「神田さんはトライアスロンをやられているので・・・・」
と言ってくれたが、この先生はこの発言を無視・・・・
これで、この病院への信頼は無くなる。

 インターネットでスポーツ整形外科をさがして、ネット上ではよさげなK病院へ、しかしここも、治療方法は投薬のみで、その薬も効かなかった。効き目無い旨説明しても、次への治療の方向性を示すことは無かった。宮古島トライアスロンに4月に出場するので、それまでになんとか・・・・という要望をぶつけても、首を傾げるか、薬を変えてみましょうかね?との方法ばかり・・・・


 インターネットで脊椎管狭窄症を調べると硬膜外ブロック注射の効き目がある場合もあるとの情報もしっていたのだが、そのサジェスチョンは無かった。どうやら、麻酔科の分野と整形外科の分野で微妙に問題解決方法について、優先順位が違うのか?背骨に注射を打つ行為が不得手なのか?この3件の整形外科ではブロック注射の話は一回も出てこなかった。
奇しくも、そんな事が分かり始めた頃、ぼくの病状を心配していた、トライアスリート兼友人の主治医がペインクリニック(麻酔科)に行くアイデアをくれて、彼の後輩のペインクリニックを紹介してくれた。真摯なここの先生の姿勢は好感を持てたが、硬膜外ブロック注射を3回やっても、残念ながら効果は現れず、結局、獨協医科大学越谷病院送りとなったのだ。



神経根ブロックと硬膜外ブロック注射
 硬膜外ブロック注射で効き目がなければ、神経根ブロック注射という方法に移行するかもしれないという手順は、インターネットで調べて知っていた。まさか、いきなりそれをやられるとは思わなかったので、心の準備ができていなかった。結論からいうと神経根ブロック注射は、レントゲンを写しながら、神経に直接薬を注射する治療なので、信じられないほど痛い。生まれて半世紀以上生きてきて、経験したことない苦痛である、うめきながら女性の看護師さんに思わずしがみついてしまったほどだ。
こんな苦痛を味わっても、実は注射は効かなかった。(後述:どうもインターンの医師のモルモットにされた可能性が高い。後に神経根ブロックを上手な医師にしてもらったが、こと時ほどの苦痛はなかった)

 話は前後するが、スーパーへ買い物にも満足に行けない私をみて、誕生日へのお祝いだと長男が「杖」をプレゼントしてくれた。8月末から出張も控えているので、これは実に助かった。大きな荷物を持って、ジョグの方が歩くよりもラクといっても、それは傍目からは信じられない話だ。ジョグできるのに杖の生活なるかと思うと憂鬱で、あまりうれしくないプレゼントだった。杖を使い始めてまもなく都内の地下鉄で、どう見ても僕より不健康そうな中年の男性が
席を譲ってくれた・・・・
「大丈夫ですから・・・」
「いえいえ、是非座ってください」
「いえいえ」(影の声:メタボの体型で、無理するなよ・・・運動しているか?)
「是非、遠慮なく・・・」
「いえいえ」」(影の声:マラソン走ったら、オイラの方が絶対速い自信あるっ!)
「そんなむりなさらずに・・・」
「そ、そうですかありがとうございます」(影の声:なんだ!?この敗北感・・・・)
この記憶は、たぶん一生忘れまい・・・・



その後、獨協医科大学越谷病院の先生の診察で、「神経根ブロックは、もう二度とゴメンです」という要望に対して、提案されたオプションはふたつ
① 造影剤を背骨にいれて、精密検査。原因の特定をする。2~3日の入院が必要
② もう一箇所、怪しい箇所があるので、そこへ硬膜外ブロック注射


 入院はしたくなかったので、迷わず②を選択した。約1週間後、獨協医科大学越谷病院の麻酔科へ、硬膜外ブロック注射は、神経根ブロックに比較すれば痛くないとは言え、背骨に注射針を打つ尋常ではない治療である。背骨の中に、何かが注入される感覚は麻酔が効いているので痛みはないものの、けっして良い感覚ではない。本能的に危機感を感じさせる感覚・・・
この注射は、麻酔薬をいれて、痛みを和らげるためだけではなく、神経の炎症を抑えるステロイド系の薬をいっしょに注入される。
今までのブロック注射の場所よりもかなり上部に注射針を刺された。
一時間ほど、安静にさせられて、立ち上がるといつも感じる股関節の違和感が薄れていた。そして、少し前かがみの歩行姿勢ではなくて、ふつうに歩くことが出来るような予感を感じた。
でも、ここ一年間ほど、背筋をピンと立てて歩くことが出来なかったので、その歩き方を忘れて戸惑ってしまう自分に思わず笑みがこぼれた。傍から見たらへんなおやぢに思われたに違いない。


最初のブロック注射と神経根ブロック注射は、場所が間違っていたのだ。たしかに素人目に見ても、MRIの写真では狭窄していることが明らかだったが、この大学病院の整形外科の先生曰く
「ブロック注射が効かないということは、そこに原因が無いということだ」
と説明してくれた。巷多く聞く「ブロック注射が効かない」噂の多くはこれが原因かもしれない。合計3回この正しい場所にブロック注射をした結果、日々症状が抑えられていくのを感じて、マラソンの当日を迎えることになった。

脊椎管狭窄症を抱えながらの練習法・・・・目標ダイエット65kgに!

制限時間4時間。厳しい関門条件・・・・グロスのタイムで4時間なので、たぶん3時間55分で走らなければ行けない。となると、キロ当たり平均5分34秒になる・・・・・
体重1kgにつき、フルマラソンでは3分タイムが変わるといわれている。7月に70kgの体重が11月のレース当日65kgであるならば、15分のタイム圧縮になる・・・・はずだったが・・・

が、とにかく走り初めが、痛くて辛いので、走り始めるのに気合がとても必要だった。夏場は特に気持ちが萎えた。痛いのとまだ時間があると思っていたから・・・・

7月57km、8月24km、9月71km9月までの月間走行距離はとても少ない。そのかわりに自転車に乗ったつもりだったが、出張やらなんだかんだで、絶対的運動消費量が摂取カロリーとイーブンだったようだ・・・ダイエットは失敗だった・・・

とにかく朝飯前に走る。走る前は、軽く水分補給しかしない。走ったあとは、牛乳もしくは飲むヨーグルトを300ccほど30分以内に摂取(運動直後の牛乳の乳たんぱくは、血液量を増加させ、結果的赤血球も増加するので酸素運搬能力が向上するらしい)
脊柱管狭窄症のせいで、走り初めが辛かった。その痛みは、2~3kmで治まってくる場合もあれば、5~6km走っても、良くならない場合もあった。靴底を見ると足を引きずっているのが良くわかる。




それとLT値を向上させるために、140前後の心拍まであげて、ランの終わりには160位までビルドアップした。

10月は、こんなトレーニングを、13回で170km、一度コースの下見で30kmほど走行して、合計200km走った。症状の回復に加えて、5分30秒前後で20km走れることが出来た時、埼玉国際マラソンをなんとか完走できるかもしれない光明が見えてきたのだ。

その調子を確かめつつ、11月に入っても9日までは、心拍を160位まであげるビルドアップと5分30秒前後のペース走りを交互に繰り返した。ただ、マトモな30~40km走を一度もしていないのが不安の種だったが、10日以降は、テーパリングとして負荷を減らし、走っても軽いジョグで5kmほどに抑えて、糖質の蓄積につとめた。その結果70kmちょうどだった体重は、レース当日は71.5kgと増加してしまった。理屈では、わかっているが・・・・いまさら体重を無理やり減少させたら、レース途中に低血糖症(ハンガーノック)で棄権せざるを得なくなることは、解っていても不安だった。

LT値を体感するして、その値を向上させる・・
一般的なLT値は、
(220-年齢―安静時心拍数)x0.75+安静時心拍数
で出る。これは私が運動していないと仮定すると137位の心拍数になる。朝飯前のジョグで、オイラの場合だけかもしれないが、心拍155以上の高い負荷をかけて走ると急に空腹感を感じ、心拍数140前後に戻すとそれが治まるのが、心拍計をつかって走るようになってから感覚的にわかっていた。とにかく、LT値をあげる、空腹を感じない心拍数をあげること、すなわちLT値をあげることが、4時間近く走り続ける為の必須の条件だと考えていたのだ。最終的に150位の心拍で走っても、空腹感を急に感じることが少なくなった。これは、自分で考えた以上に上手くいった。偉いぞミトコンドリア!

当日までの不安要素は、
減らない体重
30km過ぎてからどうか?


いよいよ当日になり
スタートしてびっくりしたのは、皆恐ろしく速い事だ。制限時間4時間の恐怖がそれをさせるのか???キロ4分45秒の声が周りから聞こえてきたくらいだ。そんな最初からぶっ飛ばしては潰れると思い、最初の関門を過ぎてからマイペースで走ることにした。
それでも、心拍は160前後で推移している・・・・アレドナリンがでているのか練習の時よりも苦しくない。折り返しでは多くの知り合いや友人にすれ違う。いつも見慣れた風景だったはずだが、以外に車道をランニングしてると新鮮に感じる。
20km過ぎたら、調子がでてきたと思ったが、30km近くなると体が思うように動かなくなった・・・・時計とニラメッコしながらペースと残り時間を計算しながら走るが、思うように足が動かなくなった。腕をとにかく振りながらゴールする。ゴール前では、勢いよく前半戦カッ飛んでいった数人の友人達が、足の痙攣で苦しんでいた。

なんとか2分前にゴール

やった~~!
なんか、今までのトライアスロンとマラソンのレースで一番うれしい。いや~自分で自分を褒めてあげたいっと本気で思った瞬間だった。
それと・・・体重を減らせば、まだ自己ベストの更新に確信をもった・・・
イエイ~~っ!