気の広場

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愚かさは尊い ・・・ 4.学校成績・学歴評価は最悪

2010-12-04 10:06:49 | Weblog
愚鈍だからといって

  ・・・ 「おそれ悲しむ」ことはないのです。


チューラパンダカが悟ったと知ったとき人びとは

  「彼は愚かさゆえに悟りたり」といったそうです。

愚かさが むしろ悟りを促進したのです。



頭が悪いからといって

  自分をさげすんだり

  失望したりしてはいけない

  目から鼻にぬけるような人間よりも

    ずっと立派な仕事をすることがある

  ・・・ 釈尊は 強くはげましておられるのです。


そして チューラパンダカが悟ったとき

  釈尊は こううたわれました ・・・ 。


「 多くの経文を誦するといえども

  解せざればなんの益かあらん

  たとえ一つの法句たりとも

  これを行わば 悟り得べし 」



博学な物知りよりも

  ・・・ 真実をもって生きる人が尊いのです。



学校の成績や学歴で人間を評価するのは

  ・・・ もっとも愚かなことといえましょうね。




* 2010.11  東ブータンで






愚かさは尊い ・・・ 3.天与の能力

2010-12-04 09:03:03 | Weblog
人には 天分があります。



ものおぼえのいい人も 悪い人もいる。


しかし

記憶力がよいからといって成功するとは限らない。

のみ込みの早い人は 忘れっぽく 早とちりして失敗する。


逆に

チューラパンダカのようにがっしりと心のなかにくいこんで

  物事の本質をつかむ「のみ込みの悪い人」もある。



いずれも天与の能力です。

これを生かしてゆけばよいのです。




* 2010.11  東ブータンで






愚かさは尊い ・・・ 2.逸話(エピソード) そのつづき

2010-12-04 07:05:21 | Weblog
 (1.につづく) 彼はこの短い詩偈(ことば)をくり返しては掃除をしていました。そのうちにチューラパンタカは、この詩偈の意味を考えるようになりました。


「 この箒(ほうき)は何か、知恵のことか。

  塵(ちり)とは心の塵、垢(あか)とは心の垢か。

  これをとりのぞくことが仏道修行なのか。

  そうか 」



彼は悟(さと)ったのです。

そして 高らかに誦(とな)えたのです。


「 人の世の迷いは垢なり

  知恵はこれ心の箒なり 」


彼は 兄よりも先に悟りました。




* 2010.11  東ブータンで





愚かさは尊い ・・・ 1.逸話(エピソード)

2010-12-04 06:00:05 | Weblog
チューラパンダカよ

汝おのれの愚かさをおそれ悲しむことなかれ

                    (増一阿含経)



 チューラパンダカは釈尊の弟子のなかでいちばん知恵のおくれた人でした。彼は兄のマハーバンダカといっしょに弟子になったのですが、どうも記憶力が悪くて、ほかの500人の弟子とともに三年間も教えをきいたけれども、一つの聖句(ことば)すら暗誦できませんでした。

 仲間は彼をさげすみ、兄までが
「お前のような頭の悪いやつは、とても仏道修行などで気はしない。今のうちに家へ帰れ」
 と叱るしまつです。チューラパンダカは自分でも記憶力の悪いことはわかっている。しかし、だからといって三年もたっておめおめ家には帰れない。彼はぼんやりと祇園精舎の門外にたって泣いていた。

 ちょうどそのとき釈尊が自分の部屋から出て門外にこられた。チューラパンダカが泣いているのをみて
「なにが悲しくて泣いているのか」とたずねられた。彼は兄にいわれたことをつげました。釈尊はあわれの思い、次のことばをはかれたのです。
「汝おのれの愚かさをおそれ悲しむことなかれ。わが至りしさとりの道は汝が兄の導きによらざるなり」
 兄さんに教えてもらうわけではないんだよ、私がお前を導いてあげるのだ。
そういって釈尊は一本の箒(ほうき)を与え ・・・


「 この箒にて、塵をはらわん 垢(あか)のぞかん。

  汝のこのことばをくり返し誦(とな)えよ 」

    ・・・ と指示されたのです。



* 2010.11  東ブータンで

 


 

子ども教育 ・・・ 4.人道的な心

2010-12-04 05:14:03 | Weblog
科学の時間に数十匹のフナを子どもらがメスで解剖し

それが「真理探究」だと錯覚し

  ・・・ 昆虫採集を平然とやってのける時代です。


だからこそ 子どもらは

大人になっても

  自然を破壊し 海を汚染しても ・・・ 平気なのです。


私たち大人も
 
子どもも

小川のほとりで魚を殺していた童子(1.逸話 参照)と変りありません。



生命の尊重と戦争反対の人道的な心は

幼いころから
 
  この釈尊の教えを ・・・ 注ぎこんでゆくほかないのです。




汝らは苦しみを恐れずや

苦しみはなんじらにこころよきや

                      (ウダーナ) 再掲




* 2010.11  東ブータンで





子ども教育 ・・・ 3.自己本位・人間本位への告発

2010-12-04 05:13:02 | Weblog
釈尊は 子どもらにいいました。


「 大 小なる生きものにむかい

  他に属すればとて憎まず

  おのれに属すればとて愛着せず

  われあたかも彼のごとく

  彼らあたかもわれのごとし。

  おのれにくらべて自ら殺さざれ

  他をして殺さしむるなかれ 」


・・・ 素晴らしい教えです。



おのれのごとくして他を愛せよ


人間だからといって

  自由に動物・植物を殺し 傷つける権利はない!

・・・ 自己本位 人間本位の勝手な思想への痛烈な告発です。



* 2010.11  東ブータンで





子ども教育 ・・・ 2.分裂症的教育

2010-12-04 05:12:02 | Weblog
釈尊は 頭から「殺すな」と命令しませんでした。


「お前らは苦しいことが好きかね」と子どものホンネにふれながら

わが身とひきくらべて

  ・・・ 相手のことを想う気持の尊さを教えておられます。



道徳的に説教しても 子どもらは反発するだけです。


ホンネにつきささってくるから納得するのです。


そして

幼いときに植えつけられた

  「生き物を殺してはならない」という教えは

おそらく子どもらの一生を強く貫き通してゆくにちがいありません。



私たちはどちらかというと幼少児に甘く

  ・・・ なにかというと大目にみようとします。


昆虫の翅(はね)をむしったり 蟻をつぶしたりしていても

  ・・・ 黙って見過ごしています。


あるいは

自分の家で飼っている動物はかわいがりながら

  野良犬や猫に対して石をぶつけたりしても

  ・・・ 見すごしています。


それでいながら

蟻ん子の歌をうたったり

ワンワン物語に親しませようとする

  ・・・ 全く分裂症としかいいようのない教育をしています。



* 2010.11  東ブータンで





子ども教育 ・・・ 1.逸話(エピソード)

2010-12-04 05:10:56 | Weblog
汝らは苦しみを恐れずや

苦しみはなんじらにこころよきや

                      (ウダーナ)



 これは釈尊が小川のほとりで子どもたちに投げかけられたことばです。


 とある日、釈尊は「祇園精舎」を出てサーヴァッチーの町へ向かわれました。
その途中、小さな川の岸に目をとめると、大勢の子どもらがきゃっきゃっと騒ぎながら魚をつかまえては殺している。とても嬉しそうなのです。

 これをみた釈尊は子どもらのそばへ予って声をかけたのです。
「汝、童児らよ、汝らは苦しみを恐れずや苦しみは汝らにこころよからずや」 ・・・ 殺される魚はかわいそうと思わないか、お前らは苦しいことが好きか、この魚のように苦しめられ殺されることがこわくないか ・・・ このよびかけに子どもらは
「そうです、お釈迦さま、私たちも苦しいことはきらいです」
 と答えました。 釈尊はうなずきながら
「よし、苦しいことがいやだったならば、自分にも他の動物や人間にも悪いことをするのではない。もし、魚を殺したり痛めつけたりすれば、最後はきっと自分自身が苦しむことになる」
 と諭(さと)されたといいます。

 また釈尊は子供らが棒で蛇を殺している情景にぶつかったときも
「蛇のような生きものでも、それなりに生きる楽しみを求めているにちがいない。安楽を求めている生類を杖をもって殺害する者は、将来安らぎをうることはできないよ」
 と戒められたといいます。



* 2010.11  東ブータンで