気の広場

気の世界あれこれ・・・
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母 ・・・ 10.こまやかさ : くどさ

2010-12-09 12:07:26 | Weblog
「ハンカチは? 鼻紙は? ウンコしたの? わすれものはないの?」

  ・・・ 母親は くりかえしいう。


「うるさいなあ もってるよ」

  子どもは 母のくどさをわずらわしく思う。


しかし この母のくどさがあってこそ

  ・・・ 子どもは さまざまなことを身につけていくのです。



 父親が旅行に出るときに、カバンにつめこむネクタイ・Yシャツ・ハンカチ・洗面具・塵紙の扱い方に、そのくどさと丹念さがあらわれます。嫌いでは できないことです。
 そして、この母が家にいてくれると思えばこそ、父はその世界へ開拓心をもやし 冒険を求めてゆけるのです。



若者は 母をうるさがる。 干渉がましいと怒る ・・・ 。


けれども 世の中のすべては

  このくどさというものがなければ 地につかないのです。



物事は筋書き通り

  命令一本の原則で なめらかに運ぶものではありませんね。





* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・ 8.不断着の人 その4 : 不断の心

2010-12-09 06:35:27 | Weblog
「不断着」には

  「いつも着ている」という親しみがあり 温かさがある。

そこに心の平安と落着きが訪れてくる。


外出着には

  よそよそしさがあり ホンネよりタテマエの虚栄がつきまとう。



いまの若者は

  ジーパンで旅にも結婚式にも出てゆく。

  自分を変えることをきらいます。

  いつも自然なホンネの自分でいたいと願っています。


・・・ 不断着でいたいのでしょう。

  形式主義よりも 中身で人間同士ふれあってゆきたいのです。



母は まさにその代表的人物です。

粧わず アイシャドウーをつけず
 
  素顔の人生を歩こうとしているのです。



ですから

その母と子の間に「断絶」があるということは

  母が変ってしまったのか

  二人の間を裂く「社会の歪み」が入りこんできたのか

  ・・・ どちらかです。



「不断」の心は ・・・ 日常性の尊さを子どもに教えます。


ふだん着でいたかったら ・・・ つねに変らぬ人間となることですね。





* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・ 7.不断着の人 その3 : 断絶

2010-12-09 06:01:24 | Weblog
「不断」は 裃(かみしも)を着ていては つづかないものです。

羽織も イヤリングも 化粧もしていないから つづくのです。



母が在るがままに 自然に
 
  いつもと同じようにしているから 不断の生活が途切れないのです。

構えていたら不断でなく ・・・ 「断絶」になってしまいます。



だからこそ
 
母はこどもにものを教えるにも わざわざ座りなおして教えたりせず

仕事しながら ねころんでいる子どもにいって聞かせるのです。


いって聞かせるといっても

呼吸を整え いうべき内容を論理的につみあげていうのでも

  思い上がっていい聞かせるのでもない。


子どもも 母のしつけを

「よし こい」などといった態度ではうけとめない。


教育者と被教育者の立場で ひらきなおったりしないのが

  ・・・ 母と子の「不断」の間柄です。



それでいて 子どもは

  ・・・ ちゃんと教えられる。

  ・・・ おぼえこんでゆくものです。





* 2010.11  東ブータンで






母 ・・・ 6.不断着の人 その2

2010-12-09 05:22:01 | Weblog
母に わざとらしさがあったら「ふだん」ではない。



子どもが たまにわが家で豪華な食事をみると

「ママなにかあったの?」ときく。

「ふだん」とちがっているからである。


食事がよそゆきの顔をしているためでしょう。


それほど母は 「ふだん」の人になりきっているのです。


気どっているほうがおかしいし

  よそゆきだとかえって家族は落着かない。



しかも その「ふだん」は

「くり返しの不断」に生きているところから生まれてきます。





* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・ 5.不断着の人 その1

2010-12-09 05:20:46 | Weblog
「ふだん着」というと一般には「普段着」と書きます。


普は「あまねく」「ひろい」ということで

段は「区切り」「きれめ」のことです。


切れ目が広いとは 多くの人にゆきわたるということでしょう。

空間的な広がりを意味しています。



しかし 「ふだん」とは「不断」のことではないでしょうか。



つまり 「絶えず」「毎日」ということであり

「ふだん着」といえば「普段着」

  ・・・ いつも着ている着物さすのでしょう。


特別の晴れ着でもなく

年百年中(ねんがらねんじゅう)

  始終(しじゅう)着ている着物のことです。


もちろん

そこに広く誰にもつかわれているという意味がこめられていてもよい。

ただ 「ふだん」とは 「不断」「不休」であることです。



母は 「よそゆき」の人ではありません。

ふだん家にいる人ですし

  いつも「ふだん」の気持で子どもらを待っていてくれる人です。





* 2010.11  東ブータンで