印度の古代語では
「水が澄みきった」ことを「信ずる」といいます。
怨み・争い・わだかまり・憎しみのない清澄な心
・・・ それこそが「信」です。
「信」は 自分と他人との垣根をなくし
「自他一如」 「上下一如」へと発展します。
黙っていながら目と目 心と心がしっくりとくる
・・・ それが解脱の心境です。
釈尊のいわれた「止めよ 止めよ」の聖句は
・・・ 実は そのような宗教的心境をあらわしているのです。
学者先生がそれを悟ったかどうかわかりません。
今日でも 文化人は能書きばかりのべています。
心のふれあいに生きることの尊さ ・・・ を忘れているのでしょう。
人間の幸せというものは
千語万語にまさる沈黙の涙をもつ自己の育成にある ・・・ のです。
相手に求める前に まず自分に
・・・ 「止めよ 止めよ」の声をひびかせることですね。
* 2010.11 東ブータンで
「水が澄みきった」ことを「信ずる」といいます。
怨み・争い・わだかまり・憎しみのない清澄な心
・・・ それこそが「信」です。
「信」は 自分と他人との垣根をなくし
「自他一如」 「上下一如」へと発展します。
黙っていながら目と目 心と心がしっくりとくる
・・・ それが解脱の心境です。
釈尊のいわれた「止めよ 止めよ」の聖句は
・・・ 実は そのような宗教的心境をあらわしているのです。
学者先生がそれを悟ったかどうかわかりません。
今日でも 文化人は能書きばかりのべています。
心のふれあいに生きることの尊さ ・・・ を忘れているのでしょう。
人間の幸せというものは
千語万語にまさる沈黙の涙をもつ自己の育成にある ・・・ のです。
相手に求める前に まず自分に
・・・ 「止めよ 止めよ」の声をひびかせることですね。
* 2010.11 東ブータンで