気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

母 ・・・149. : 母の居る安らぎ ・・・ 母の居る 「 うち 」

2010-12-29 11:00:28 | Weblog
子どもは家庭で母と接し 語りあうことで

  「家族」を学び 「うち」のあたたかさを知ります。



子どもは成長すれば やがて家を離れてゆきます。

子どもは ・・・ 子どもとしての人生を歩む。


しかし

その子が家庭をつくるとき あるいは 愛する人を見出すとき

彼らの心性に映じてくるものは ・・・ 母の居る「うち」の姿です。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・148. : 母の居る安らぎ ・・・ わが家とは 「 うち 」

2010-12-29 10:00:36 | Weblog
わが家とは

子どもにとって 建物をさしていうのではなく

  ・・・ 母親がいることなのです。


母がいるから 「うち」なのであり

  母が待っているから 「うち」なのです。


母のいない「家」は
 
  不気味な「心」のない冷たい空洞の世界にすぎません。



そして

子どもは この「うち」があるからこそ

  ・・・ 「外」へ向かって出かけてゆく勇気がわいてくるのです。


高校や大学にゆくようになっても この子の心は変わりません。



夕食をとらずに自分を待ってくれる母があり

出先に心配して電話をかけてくれる「うち」の母がいるからこそ

  ・・・ 彼らは 「外」の生活を楽しむことができるのです。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・147. : 母の居る安らぎ ・・・ ただ聞くだけでいい

2010-12-29 09:00:14 | Weblog
私の次男は 大変な早口でした。


学校から帰って母親に話しているのを かたわらで聞いていると

  なにをしゃべっているのかさっぱり分かりません。

ときどきいい間違えて 自分の頬っぺたをたたいています。


母親は うんうんとか ふんふんといっているだけです。

迷惑そうですし 生返事しかしていない。


しかし 次男は ・・・ それで満足している。



母はうちにいて ただ聞いてやればいいのです。

いや 聞かずとも うちにいてやりさえすればいいのです。


それだけで

子どもは 足音も高く 学校に出かけ

  心配事があっても我慢して耐えることができる。


母のちょっとした慰めの言葉を聞けば

  ・・・ それで不安や動揺は消えてしまうのです。


なんという偉大な母心でしょうか。




* 2010.11  東ブータンで




 

母 ・・・146. : 母の居る安らぎ ・・・ 母に居て欲しい

2010-12-29 08:00:39 | Weblog
ほんとうからいえば 母のいないほうが勝手気ままでいいはずです。


帰るそうそう ・・・

手を洗え 塵を落とせ なぜこんな遅くまで遊んできたのだ

  と矢つぎばやに注意をうけるよりも 母が留守のほうが気楽なはずだ。


しかし 子どもは それでも母に居て欲しいのです。



「ただいま!」と叫んで玄関の戸をあけ 「お母さんは!」とたずね

茶の間やダイニングルームにとんでいって 一気呵成にしゃべりまくる。


それが子どもの生活のリズムであり 不変の習慣となっているのです。



息をはずませて
 
  学校であったこと

  友達とのトラブル

  帰り道にふとすれちがった犬のこと ・・・

もうゴチャゴチャに胸におしつまっていることを

  一分一秒でも早く 母に聞いてもらいたい 訴えたいと

  ・・・ 子どもは わが家へ邁進してっくるのでしょう。



家には 母が待ち構えていてくれる。自分を待っている。

・・・ そこに子どもは 生きがいを覚えるのです。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・145. : 母の居る安らぎ ・・・ 留守

2010-12-29 07:00:06 | Weblog
きょうは母がいない 留守なんだと分かっている日も

ついうっかり忘れて

  「ただいま! おかあさんは?」とやってしまう。


<そうか 留守だったのだ 今日は>と朝の約束を思い浮かべるとき

  ・・・ 子どもの表情は淋しげで 苦渋にみちています。



留守を思い出して帰ってくるときは

  足音の響きや戸のあけ方までちがいます。

いつものような軽くはずむような

  ころげこんでくるような力がありません。

重い のろのろとした足どり

  パーンとたたきつけるようにしめる戸。


ときには
 
  ぼんやりと茶の間に突っ立ってなにごとか考えている。


ひとつひとつの仕草にも

  孤独でやるせない想いがあらわれています。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・144. : 母の居る安らぎ ・・・ 母の居ない家

2010-12-29 06:00:12 | Weblog
母の居ない家は「火が消えたように」

  「しいん」とした砂漠のような淋しい空虚なところです。



お母さんの居ないうちは空家も同然です。


「ただいま おかあさんは?」

返事がないと

「おかあさんは?」と もう一度叫ぶ。


また 父親が家で仕事をしていても相手にしない。


「ふーん なあんだ おとうさんか」 いかにもがっかりした声を出す。

子どもは 父親を母の代用品とすら認めてくれない。

「冷蔵庫にプリンがあるよ」

「うん」

それで父と子の会話は終わりです。



子どもは 母のつくったプリンを食べながら

  ・・・ ひたすら帰りを待っている。


それは ・・・ 実に淋しそうです。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・143. : 影のように ・・・ 母の手紙

2010-12-29 05:25:06 | Weblog
旅に出た子が母に書簡を綴るのも ・・・

遠く離れた子が母の手紙を待ちわびるのも ・・・

  母の返事で そばにいる母心に触れあいたいからなのです。


これは いくつになっても変わりません。


たどたどしい文字の手紙でもかまいません。

ただ母の筆跡とそこに描かれた消息があれば

  子どもは母を恋うる気持ちが満たされ

  ・・・ 母の息づかいと匂いをかぎとることができるのでしょう。



叱ってもらいたいし 喜んでもらいたい。

だから 留学して息子は 誰に手紙を出さずとも母には書き送る。

父への便りは事務的です。乾いています。

母への絵葉書は情感で濡れています。

  ・・・ むかし 私がそうでした。かつて 息子がそうでした。


母親は 夜遅くまでかかって手紙を書いてやる。

書いては破り また書いている。

なかなか書けない。

それを頑張って書いている。


・・・ 母心のやさしさです。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・142. : 影のように ・・・ 赤ちゃん返り(退行現象)

2010-12-29 05:24:30 | Weblog
幼児は赤ちゃんが生まれると

  「赤ちゃん返り」(退行現象)を起こします。


最近も そんな相談を受けました。



母を赤ん坊にとられたと思うのでしょうね。

わざとおしっこをもらしたり

軟語を使ったり

赤ん坊のミルクを横取りして
 
  ・・・ わがままいっぱいにふるまいます。



母の愛を独占した子どもは

  ・・・ 愛の二分化が淋しくてたまらないわけです。


子どもは

  いつまでも「母心」を独占し 満喫していたい ・・・ のです。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・141. : 影のように ・・・ そばにいる

2010-12-29 05:23:54 | Weblog
母がそばにいてくれるから

  赤ちゃんは ねむりにつき

  少女は おさらいをし

  少年は 勉強机に向って落着いて宿題にとりくむ。



「そばにいる」 ・・・

この影のように寄りそっていられること自体が

  子どもにとって ・・・ 大切な用事なのです。



そばにいてくれるから ・・・ 安心して生きていられる。




* 2010.11  東ブータンで