気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

母 ・・・ 37.家庭料理 : 創意・根気・愛情

2010-12-13 10:36:35 | Weblog
おなじブリの照焼でも サンマの焼物にしても

  家庭の味覚を堪能させてくれる

  ・・・ 独特の味つけ 焼き具合 大根おろしの辛さがあります。


玉子焼きも カレーも トンカツも 牛肉のオイル焼きにしてもそうです。


生活の味があるからでしょう。

・・・ その霊妙さに 家族は惹きつけられるのです。



これをつくりあげてくれるのは 主婦
 
    ・・・ 子供にとっては 母です。


お母さんの創意と知恵があって

  ・・・ はじめて家庭の持続的味覚は完成されるのです。



もし 母に その能力が欠け 工夫力と根気がなかったら

  ・・・ 家庭の味は生まれないし
 
  ・・・ 料理研究家か 料亭料理の模倣にすぎません。



食事の個性 子どもを魅了し 惹きつける家庭料理は ・・・

  母の創意と根気 そして 愛情にかかわっている

            ・・・ といってもよいでしょうね。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・ 36.家庭料理 : 一番です

2010-12-13 09:34:00 | Weblog
・・・ 家庭料理が一番です。


一流の料理屋・レストランの料理は ・・・

味つけ 盛りつけ 取り合わせ 材料の吟味からいったら

  家庭料理とはくらべものにならぬほど工夫がこらされています。


しかし

人間の食欲は だからといって満たされるものではないのです。



家庭の食事には

  ・・・ それなりの個性と創意があるのです。


そこに 何十年たべていても飽きない魅力があります。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・ 35.気が許せる : 甘え

2010-12-13 08:12:34 | Weblog
いくら子が甘えてきても

  それに盲目的にのめりこまない「和」の知恵さえあれば

過保護にもおちいらないし

  ベタベタした母子一体の「いやらしさ」は生まれません。



子が 父を恐れ

   母に甘えるバランス・シートさえはっきりしていれば

       ・・・ いくらなめられても さしつかえないのです。



母が 父をを蔑(さげす)み

子が これにくみして

母子が 馴れあって甘い汁をすすりあうときに

       ・・・ 甘えは 人間成長の害毒となるのです。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・ 34.気が許せる : 悲母観世音

2010-12-13 06:56:04 | Weblog
父が 不動明王なら

母は 悲母観世音 ・・・ です。



父は とっつきにくい 気の許せない恐い「父心」をもち


母は 肩をゆるめ ひざをくずして

    センベイを食べながら語りあえる ・・・ 「母心」をもつ。



そうであってこそ

  ・・・ 子どもの心はバランスがとれてゆくのです。





* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・ 33.気が許せる : なめられる

2010-12-13 06:04:21 | Weblog
友松円諦先生は

「 経文のなかにも はっきりと親を嘗(な)める子を

  『高慢(たかぶり)心を起こし かえりて軽侮(あなどり)を生ず』

    といっている。

  そんな生意気をいうようになってくれたのである。

  平然と生意気をいわせるところが母である 」 といっています。



なめられることを誇りにすら思う母心の持主であってこそ

  ・・・ 子は 裸になってうちあけてくれるのです。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・ 32.気が許せる : 知恵なき人

2010-12-13 05:03:26 | Weblog
気がねされたり ホンネを聞かされない母は

  子どもに知恵なき人とみられているのです。


だから

なめられない母には ・・・ 「母心」が足らないともいえましょう。



友人以外相談しない子が急速に増えています。


子どもは ・・・ ホンネを吐ける母を見失っています。


いかに母心不在か ・・・ ということです。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・ 31.気が許せる : 観世音菩薩

2010-12-13 05:02:56 | Weblog
母は 子どもを疑わない。


疑うことは 自分を呪うことに通じる ・・・ とさえ思っています。



むしろ

母は 子どもになめられ だまされることさえ望んでいます。


  ・・・ そんなバカな と心配されるお母さんもいるでしょうね。



しかし

母は 子どもがなめてかかり

  だまそうとするときの他愛なさと 甘えの心理をわきまえ

    ・・・ 承知しているのです。

ただ なめられているのではありません。

母に対し優越感を味わいたい稚(おさ)なさを ・・・ 観じているのです。



「観世音菩薩」は

  「世音」つまり世間の音沙汰 世情がすっかり耳に入り

    ・・・ 手にとるように分る方だといわれます。


母が ・・・ それです。


観世音に甘えられるのは ・・・ 「先刻ご承知の方」だからです。



母をなめる子どもの心には

  母はすべて知っているのだという安心感があります。



世音を観ずるとは 学問教養の蓄えをいうのではありません。

・・・ 人生の知恵のことです。




* 2010.11  東ブータンで