気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

母 ・・・109. : 色と柄 ・・・ いれもの ・ 器 調度

2010-12-23 13:16:12 | Weblog
女性は 「いれもの」を単に実用的機能としてのみ取り扱わず

  美しい装いで飾るなど ・・・ 別の要素をとり入れています。


これも現実とロマンを結ぶ

  「色と柄」の調和感のあらわれといえましょう。



食器と食べもの

居間と調度の関係も ・・・ 同じです。



湯豆腐は アルミナベを使っても

  別段 食べることに不都合はありません。


しかし

それでは満足できない美意識の持ち主は

  焼き物の鍋をしつらえ

もっと凝り性の人は

  京都の「たる源」から小型の湯ぶねのような器をとり寄せ

  茶道で使う炭を用意して ・・・ 食膳を飾ります。


豆腐が 器で「色と柄」を変える。



そこに ・・・ 母心があるのです。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・108. : 色と柄 ・・・ 鑑賞力

2010-12-23 12:33:08 | Weblog
母はつねに 日常性をとらえて放しません。


だからこそ

玄関先の草一本に目がとまる。

娘のアセモが気になり

夫のネクタイの汚れや帽子のシミ

障子の破れ

冷蔵庫の臭い

お風呂の栓 ・・・ に気がつくのです。


この「手近なもの」への関心のあらわれが

  「色と柄」 つまり 家具すべての「調和感」となって

  ・・・ 表現されてくるのです。



母のハーモニーの感覚は

  物をみつめる鑑賞力によってはじめて生まれます。


鑑賞力は

現実をとらえる能力があってこそ

深く現実と結びつく力があってこそ ・・・ 育つのです。



お母さん方は 母心の一つとして

  この色と柄にたいする母の興味と関心とをいれておいて下さい。


そして 一口に調和感といいますが ・・・

それが

現実と夢を結ぶ「色と柄」のセンシビリティ(感受性)がなくては

  できあがらないものであることも

             ・・・ 忘れないでください。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・107. : 色と柄 ・・・ 具体的 ・ 実際的な人

2010-12-23 09:05:05 | Weblog
食べて 寝て しゃべって 叱る毎日の生活のくり返しに

  家庭の愉悦(たのしみ)と面白みを運んでくれるのは

    母の「色と柄」への限りなき愛着だといってもよいでしょう。


そして 家族が ・・・

母の見立てた柄 

  母の選んだ色合いにすっぽりつつまれ

  楽しそうにしているのは ・・・ 母に選択眼があるからです。


文句がいいようがないくらい

母が 家族の気質・好み・性格・体格を

  ・・・ しっかりととらえているからでしょうね。



この母の眼力は

  彼女の現実把握の力に支えられているのです。


母は ・・・ 空理空論をもてあそぶ人ではありません。

  ロマンチックな色彩感覚をもっているが

   ・・・ けっして夢想家ではありません。

   ・・・ 具体的・実際的な目をもった人です。


目は いつも足元をみつめている。


宙にものを考えたり

  抽象的にものをいったりすることを好まないのが ・・・ 母親です。


母はつねに ・・・ 日常性をとらえて放しません。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・106. : 色と柄 ・・・ 関心とセンス

2010-12-23 08:02:23 | Weblog
「盛りつけ」の妙味とは ・・・ 色と柄の面白みといえましょう。

服飾美とは ・・・ 色と柄 プラス デザインです。


ネクタイ一本買うにも

プリント模様のよしあしをきめるのは

  女性の色と柄に対する深い関心とセンスによるのではないでしょうか。



色と柄を「艶(つや)と面白み」といいかえてもよい。


女性は その組み合わせに男性の知らぬ享楽性をいだいている。


俗にいう「お見立て」とは色と柄の立体感をみつけだす仕事です。



母は この色と柄にたいする繊細な神経を 家族全体に広げ

夫にはこうしよう 長男にはこうしよう ・・・ と心くばりする。


別に一覧表やリストをもっているわけではないのに 特有の感性で

夫や子どもの年齢・性・身長・肩幅・バスト・ヒップ・顔型にあわせて

  ・・・ 一定の標準で「モノ」をつくり 「モノ」を選ぶ。



もし 母から

この色合い 模様 柄えらびの楽しみを奪ったら

  ・・・ きっと怒り出します。


また

そうした喜びをもたないお母さんをもった子どもは

  ・・・ 失望します。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・105. : 色と柄 ・・・ 子の個性をつくるもの

2010-12-23 06:43:36 | Weblog
今の社会は 大変画一化しています。


これではいけない ・・・
 
  個性的人間をつくろうと人々は躍起になっています。


ひと山いくら

ワン・ノブ・ゼム(その他大勢)は

  ・・・ 人間性を無視するものだというわけです。



では その豊かな個性を育ててくれるのは誰でしょうか。


  ・・・ 母です。


母の色と柄を好む感受性が

  ・・・ 子どもらの個性をつくりあげてゆくのです。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・104. : 色と柄 ・・・ 家事

2010-12-23 05:47:46 | Weblog
家事とは モノをつくることです。


ここでいうモノとは

  物質だけをいうのではなく

  ・・・ モノと人間とのかかわりをふくめたことです。


この精神性のこもった創作の快感を離れては家事は成り立ちません。



また 家事には

  その家庭の主婦の個性がにじみ出ているものです。


料理だけではありません。

カーテン一枚 座布団カバー一つにも個性が出てくる。

色と柄 ・・・ といってもいいでしょうね。


この色と柄 個性と創作がなかったら

  ・・・ ホテルにとまっているのと同じです。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・103.無償のはたらき : 母と子の断絶 ・・・ 悲惨

2010-12-23 05:06:03 | Weblog
いま 若いお母さんがたは

  どういうふうに子どもを育てたらいいのか 悩んでいます。


これからも変化の激しい社会は

  ますます この悩みを増大させていくことでしょうね。


母の負担は重くなる一方です。


知恵をこらして いろいろと工夫をこらす必要もあるでしょう。



しかし その努力の結果 ・・・

子どもとの間に落差がますますひろがっていくことも

      ・・・ あらかじめ覚悟しておかねばなりません。


子の世話をする 勉強をみてやる

  ・・・ 母と子の愛情は深く結びついてくる。

なのに 母と子の断絶は深く広くなる

  ・・・ 現代の母は そこに立たされています。


  ・・・ 悲惨なことです。



では 子の悲惨を克服しうる力はなにか

  ・・・ 「無償の心」しかありません。


母となることは

  自分の人生に「無私と献身の道」を選んだことなのです。


ひと口に母性愛といいますが

  それは ・・・ こんなにもつらい 大変なことなのです。



女性は誰でも子を生んで母となれる だが ・・・

「母心」をもつ母となることは けっしてなまやさしいことではない

  ・・・ ことも知ってもらいたいのです。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・102.無償のはたらき : 出家 ・ 自立を喜ぶ

2010-12-23 05:05:27 | Weblog
母と子はウエットな関係にある。


しかし

子どもの「出家・自立」を喜べる母でなくては 子は育ちません。



別れてのち

子どもは 母が身をもって教えてくれた数々の尊い教訓を

  ・・・ 自分の人生に生かしてゆくことでしょう。


母は 子の魂にのりうつって ・・・ 永遠に生きてゆきます。

何万キロ離れていても

  子は 母と過ごした二十数年の愛の歴史を消すことはありません。


そのために

母は 私欲と私物化をとり去った「ただ働き」の無償の尊さをもって

  ・・・ 子の養育に当たらなくてはならないのです。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・101.無償のはたらき : まことの母

2010-12-23 05:04:53 | Weblog
日本の母は 添い寝して子を育てます。

子どもに孤独を味わわせまいと抱いて寝る。


それだけに なかなか子どもは母と別れようとしない。

いつまでもベタベタしている。

これを断ち切るのが ・・・ 母の無私の心です。



子の巣立ち 成人 自立 社会化のすべては

  ・・・ 母に無償の心があってこそ可能なのです。


いつまでも子が母にまといつき

  母が子をかばう情景は美しいようだが ・・・

そこには 母の代償を求める狭い私心が働いているのです。


これを捨てる母が ・・・ まことの母です。




* 2010.11  東ブータンで