気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

母 ・・・ 89.女・妻そして母 : 高みにたてば

2010-12-20 11:15:27 | Weblog
母という高みにたてば

人々が愛し合い 憎みあい 傷つけあう姿が

  ・・・ いかに無意味なものか 分かってきます。



かりに

暗闇に閉じ込められるような苦悩と悲嘆の夜があったとしても ・・・

一夜終われば

何事もなかったような新しい蘇生した世界がやってくることを

  ・・・ 知っている。


彼女には

泣き 叫び 歯ぎしりする日々よりも

永遠の時の流れや 変わらぬ陽の白熱の輝きのほうが

  ずっと崇高なものだ ・・・ ということが分っているのです。





* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・ 88.女・妻そして母 : 女からの脱出

2010-12-20 10:15:17 | Weblog
自分のおしゃべりに夢中だった女性が

  相手の話に耳を傾け ・・・ 「うなづく人」へと変身する。



つまり

女から母への道程(みちのり)は

  日々 夫や子に融けこみ 変色することで

  ・・・ 一層の高みへと登りつめてゆくことなのです。


人を愛し いつくしみ
 
  同化してゆく人生の尊さを噛みしめつつ成長するのが

  ・・・ 女から母への変貌だといえましょうね。



えらぶることの虚(むな)しさが分り

人を怨み 憎むことの愚かさを知り

人間を差別したり 傷つけ 虐待することの恥を思い

  他人の痛みを身に備える人へと上昇するのが

  ・・・ 女からの脱出です。



そうした母になってこそ ・・・

人間の些細なこだわりや 悩みが

  まったく取るにたらぬ蟻の右往左往と同じものであることが

  ・・・ 理解されるわけです。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・ 87.女・妻そして母 : 成熟の人生

2010-12-20 09:19:18 | Weblog
「女」から妻へ そして「母」へと

  ・・・ 一人の女性は 成熟の人生をたどります。



この歩みのなかで ・・・


たとえば 愛についても


「所有の快感」や

  「奪う愛」(相手を自分のものにしたい 愛をかちえたい
 
    好かれたいという欲求・感情)から

「保護の快感」

  「捧げる愛」へと ・・・ ポイントを変えてゆきます。



美もしかり。


妖艶(ようえん) 端麗(たんれい)な美から

  「たうとう」やすらぎにみちた美 荘厳(しょうごん)の美へと

  ・・・ 美しさも変化する。


若さと美貌を誇ってきた未婚の女性は やがて
 
  落着いた柔和な美しさに しっとり沈むようになり さらに

  ・・・ 慈愛にみちた美へと磨かれてゆく。





* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・ 86.女・妻そして母 : 融けこむ心

2010-12-20 08:13:49 | Weblog
「妻として母として女としての幸せ」というコトバがあります。

  これは一種の語呂あわせでして ・・・

「男は度胸で 女は愛嬌 坊主はお経で 八百屋はラッキョウ」

  というのと同じです。



「女」と「妻や母」はちがいます。

どこが?

融けこむ心が ・・・ です。



結婚したばかりで 「女」の香りをのこしている妻は

  味覚についても 自分の味わいを基準にして料理を作る。

夫の好き嫌いよりも

  妻の馴れた手料理や好みによって食卓を飾る。


夫も

愛妻をえたという陶酔感と好奇心

  二人の生活の物珍しさが手伝って

  ・・・ 自分の好みをおさえている。


だから

「さしみ たこ酢 湯豆腐 ねぎのぬた」が好きな夫も

妻の

「若鶏の唐揚げ 芙蓉蟹(ふようはい) スコッチエッグ」好みに

  ・・・ 順応しようとする。


ここには 男と女の遊びの感情が一番力を発揮している。

向かいあって食べることさえ 一種の遊戯性が漂っている。



しかし 五年 十年とたつにつれ

  妻は 夫の味覚や好みに ・・・ 同化してきます。


そして さらにそのうえに

  独創的な味付けや調理方法を ・・・ 創造してゆきます。


このとき彼女は 実家(さと)の味から独立し

  自分の味覚をも超えた我家の味を ・・・ 完成する。



彼女の女としての歴史は

  母としての新しい歴史のなかへ溶け込み 解体します。



その原動力は ・・・ 夫への同化です。



これができない妻は

  いつまでたっても ・・・ 未婚時代の幼さから脱けだせません。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・ 85.ままごと整理学 : 初心忘れず

2010-12-20 07:12:54 | Weblog
もし 子どもに秩序だった物の考え方や

  清潔な生活習慣を植えつけたかったならば

・・・ 母は まず「整頓の秩序」を家庭で実践してみせることです。



いくら高価な服を着飾っても ・・・

洋服ダンスの中が乱雑だったり

化粧台の上が汚れ

トイレや下駄箱が不潔だったら

子どもは 母を

  見せかけだけの人間 細かさのない無神経な人とみるでしょう。


そこからは 子どもの秩序感覚は育ちません。



母心は ・・・ ままごと整理学の初心を忘れてはならないのです。




* 2010.11  東ブータンで




 

母 ・・・ 84.ままごと整理学 : 簡素

2010-12-20 06:12:18 | Weblog
人間の生活は

たべものが食べられればよいとか

品物が買いこんであればよい

  といった単純な需要供給でのみ成り立っているものではありません。


それで済むなら

品物を包装紙でくるんだり

家具にデザインを施したりする必要もないでしょう。



家庭生活も同じです。


美しく 手際よく整えられ

  こまごまとした神経がゆきとどいてこそ

  ・・・ 生活に 美的味わいが出てくるのです。


合理的とは

  簡素に 小ざっぱりと整える行為によって実るものです。


Yシャツをまるめて戸棚にほうりこみ

父と子どもの服を 一緒くたに箱につめこむ不精なやり口を

  ・・・ 合理的というのではありません。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・ 83.ままごと整理学 : 細心さ ・ 心配り

2010-12-20 05:08:40 | Weblog
抽(ひ)き出しの上から順番に風呂敷 タオル 手拭 ハンカチと

  きちっときまって整えられ

  ・・・ 暗闇でも物が探し出せるように整頓されているとき

子どもは

  そうした母の細心さから 生活のマナーを学びとってゆきます。



そして

整頓を苦にしない母は ・・・

小さなヨゴレものをみつけ次第 順序よく拭ってゆくし

雨に濡れた靴には 新聞紙を入れて 陰干ししたり

トイレの防臭剤や風呂場の石鹸にも ・・・ 心を配ってくれます。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・ 82.ままごと整理学 : だらしない母

2010-12-20 04:23:04 | Weblog
今日「整理」とは

  生きていくための現実的課題といってもよいでしょうね。


母は その整理技術のチャンピオンであり

女の子は ままごとで その素養をたくわえています。



もし母親が

家族の衣類や用具を箱につめたり

  一定の引出しに格納しておかなかったら ・・・ 。


その家庭は ヒステリー状態におちいることでしょう。



もちろん 整理の嫌いな だらしない母もいる ・・・


ふとんを敷きっぱなしにしておくとか

食事のあと 長いこと汚れものを流しにほうりだしておくとか

洗濯物をとりこんだまま つみあげておくとか

  いろいろ無秩序ぶりをさらけだして

          ・・・ 平然としているお母さんもいる。



こうしたお母さんは いつも ・・・

「ついうっかりして」とか

「面倒だったから」とか

「そのうちやろうと思っていた」とか

    ・・・ 自分の横着さを弁解する。


自分に繊細な神経が乏しいことに ・・・ 気づかないのですね。



これでは

子どもが 散らかしっぱなしにしていても

    ・・・ 叱るわけにはいきません。


勉強や 約束ごとにしても

「なぜきちんとしないのか」と

    ・・・ 責める資格はありません。




* 2010.11  東ブータンで





 

母 ・・・ 81.ままごと整理学 : 秩序

2010-12-20 04:22:02 | Weblog
現代という豊富な物質社会は

  主婦 ・・・ 母に整理による「秩序」の重要性を求めています。



住居も ・・・ いわば「いれもの」です。


このなかに家族が生活し

  くつろぐための さまざまな容器がはいりこんでいる。

それは 実に多種多様です。



母は この多種多様な品々を巧みに配置して

 ひとつの小宇宙(コスモス)をつくりあげ 生活体のなかにまとめ

 ・・・ ととのえてしまう人です。




* 2010.11  東ブータンで